女子駅伝「はってでも…」は美談じゃない(有森裕子)
いよいよ今年も残すところ1カ月余となりました。休日には全国各地で開催されるレースに出場されるランナーもいるでしょう。寒さも少しずつ厳しくなってきますので、くれぐれも体調管理には気をつけましょう。
私もつい先日、11月11日に故郷・岡山県で開催された「おかやまマラソン2018」に出場してきました。2018年は西日本豪雨災害が起こり、岡山県でも多くの方が被災されました(関連記事:「有森裕子 相次ぐ災害で考えるチャリティーランの意義」)。まだ以前の暮らしを取り戻せていない方もたくさんいらっしゃいます。
そこで今年のおかやまマラソンでは、チャリティゼッケンを企画しました。「がんばろう!岡山」というロゴが入ったゼッケンを1枚1000円で販売し、購入していただいたランナーには被災地に向けた応援メッセージを書いて走っていただき、その売上金を被災地に寄付するというものです。
私自身、これまで何度もチャリティマラソンに関わらせていただきましたが、まさか故郷の災害に向けたチャリティに参加することになるとは思ってもいませんでした。そうした面では複雑な気持ちでしたが、おかやまマラソンのお話は回を改めてご紹介しようと思います。
「はってでもタスキを渡す」行為は美談でも何でもない
さて話は変わりますが、10月21日に福岡県で開催されたプリンセス駅伝(第4回全日本実業団対抗女子駅伝予選会)で、選手の「四つんばい」問題がテレビやネットメディアで大きく報道されたことをご存じの方も多いと思います。
2区(3.6km)に出走した岩谷産業の飯田怜選手が、第2中継所まであと200mほどの地点で転倒しました。転倒後、同選手は四つんばいになってアスファルトの上を5分以上かけて進み、膝から血を流しながら3区の走者にタスキをつなぎました。レース後、同選手は右脛骨(けいこつ)の骨折で全治3~4カ月と診断されたそうです。
このアクシデントでは、選手を止めるべきだったか、そのままタスキをつなぐべきだったかといったことがメディアで議論されていましたが、ここで私が問題視したいのは、3つのポイントです。
1つは、今回のアクシデントを「美談」として扱ってはいけないということです。
この選手がとった行動は、選手の立場から見れば、何も特別なことではありません。もし私が現役時代に同じような状況になれば、同じ行動をとっていたでしょう。私だけでなく、駅伝に出場するランナーなら、おそらく大多数の選手が同じ行動をとると思います。マラソンであれば自分の脚を守るために棄権するかもしれませんが、駅伝はチーム戦ですから、メンバーの一員としての責任感から、無理をしてでも次の走者にタスキをつなごうというのは当然の気持ちです。その行為の良し悪しは、第3者が判断すべきものではありません。
ただし、それをメディアが美談のように取り上げれば、実業団や大学生の駅伝だけでなく、子どもたちや、彼ら彼女らを教える指導者にも、「ケガをしようが何があろうが、タスキをつなぐことが一番大事である」という誤った価値観を植え付けることになりかねません。今回のテレビ中継では、四つんばいになって進む選手の姿を映しながら、興奮気味に選手を励ます実況があったと聞きます。
とかく日本人は駅伝好きが多く、走者がタスキをつなぐ姿に感動し、「チームの絆」を感じさせるドラマチックなエピソードを好みます。それ自体は何ら問題ないのですが、今回のようなケースをメディアが美談に仕立てて大きく報道してしまうと、「その行動が正しい」「そう考えるのが常識だ」という風潮を世の中に広めてしまいます。選手だけでなく、指導者がそうした風潮に流されれば、今後、別の選手が同じようなアクシデントに見舞われたとき、選手生命が奪われるようなことにつながりかねません。
本来、国内外で活躍するような選手を育てるのであれば、痛みが発生したり、ケガをした瞬間に、その場で競技から離脱させなければいけません。もちろん、健康や運動能力向上のために走るような子どもたちでも同じです。子どもであればなおさら、本人に任せず、指導者が即座に判断して止める責任があります。今回の話を美談にすれば、「はってでもタスキを渡す」という行為をまねする子どもたちや指導者が現れるかもしれない、という影響の重大さを、情報を流す側はしっかり認識してほしいと思います。
テレビ中継の画面で飯田選手の異変に気づいた所属チームの広瀬永和監督は、早い段階で大会運営側に「棄権」を申し出たそうです。その広瀬監督が大会後に「これは美談ではない」と公の場でしっかりおっしゃっていたことは救いでした。
「なるほど」と思った宗茂さんの提案
2つ目のポイントは、一番の問題である「チーム責任者からの意思伝達のありかたの問題」です。
広瀬監督の「棄権」の要請が現場に届いたのは、飯田選手が第2中継所まであと20mほどに迫った地点だったと聞きます。そのタイムラグが生じた原因は分かりませんが、先ほども申し上げた通り、このような状況に陥った時、選手には冷静な判断ができません。沿道からの大声援が、「棄権する」という選択肢を選手から奪ってしまうこともあります。だからこそ、指導者や大会側の迅速で冷静なジャッジが重要になるのです。しかし、現場の審判員は、競技を続行したいという選手の意思を尊重し、タスキをつなぐまで見守るという選択をしました。
これだけデジタル技術が発展しているのに、チームの責任者である監督の要請が即座に現場に伝達されない状況や、要請が届いたにもかかわらず、運営側が選手を止めなかったことの是非は、大いに議論すべき点だと思います。これから本格的な駅伝シーズンに突入していく今の時点で、もう一度、危機管理に対するルールを徹底して見直す必要があるように思います。
大会後、かつて男子マラソン日本代表として活躍した宗茂さんが、自身のTwitterでこんなことを発言されていました。「九州一周駅伝」という駅伝大会で採用されていた、選手が棄権した場合のルールです。
後にそれを監督と大会審判長の判断で選手をストップさせることができるルールに変更しました。そして「棄権した区間は区間最下位の記録に5分プラスしてレースは成立させる」としました。これが選手を守る最善のように思います。距離の短い女子駅伝なら、2分プラス程度でよいのではないでしょうか。"
(2018年10月22日、宗茂さんのTwitter @shigeru_so より)
この提案には、私もなるほどな、と思いました。駅伝では、選手や観客だけでなく、指導者も大会運営側も白熱しますから、こうしたルールを設けることでアクシデントに冷静に対処でき、選手の体調やチーム全体への影響を最小限に抑えられるように思います。
「四つんばい」よりも危ないアクシデントが起きていた
3つ目のポイントは、そもそも問題視するポイントがずれているのではないか、ということです。今回、メディアで盛んに取り上げられたのは、四つんばいになってタスキをつないだ選手の行動でしたが、実は、メディアがもっと注目し、問題視すべきアクシデントが起きていました。
そのアクシデントとは、3区(10.7km)で先頭を走っていた三井住友海上の岡本春美選手が、脱水症状のためコースを蛇行したり逆走したりしてしまったことです。これは、「四つんばい」よりもはるかに危ない状態です。このような場合、早めにきちんとサポートしないと、転倒して頭を打つなど、命に関わる大きな事故にもつながりかねません。メディアには、こちらのアクシデントに大いに注目していただき、アスリートの命を守るための方法をさまざまな切り口から提示していただければと思います。
駅伝ではこれから、実業団駅伝や箱根駅伝といった、大きな大会が控えています。小学生や中学生、高校生たちが走る地元の駅伝大会もあるでしょう。ランナーの命を守り、大きな事故を防ぐために、今回のアクシデントを教訓にして、現場の指導者や運営責任者の方々が、選手のためのルールを今一度見直していただくよう願っています。
(まとめ:高島三幸=ライター)
元マラソンランナー。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
[日経Gooday2018年11月13日付記事を再構成]
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