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WEF名誉会長の尾原蓉子氏(左)とビームスの設楽洋社長

WEF名誉会長の尾原蓉子氏(左)とビームスの設楽洋社長

ファッションビジネスの世界で長年活動してきた尾原蓉子氏が、関わりの深い経営者やデザイナーらとの対談を通じ、キャリアの壁をどう破るかを探っていく連載。2回目は、セレクトショップ「ビームス」の創業者である設楽洋氏と、顧客に選ばれ続ける感性の磨き方や女性活躍について語り合った。

夢は語るものでなく実現するもの――イノベーションの壁

――尾原さんと設楽さんは40年近くの交流があるそうですが、常にファッション界で先駆的な取り組みをしてきました。

1975年、慶応義塾大経済学部卒、電通入社。プロモーションディレクター、イベントプロデューサーとして活躍。76年、東京・原宿に「ビームス」1号店をオープン。83年に電通を退社、88年からビームス社長。">

設楽洋
1975年、慶応義塾大経済学部卒、電通入社。プロモーションディレクター、イベントプロデューサーとして活躍。76年、東京・原宿に「ビームス」1号店をオープン。83年に電通を退社、88年からビームス社長。

尾原私は長年、ファッションビジネスの変化を追いかけ、未来を予測しようと取り組んできましたが、設楽さんにヒアリングすると、ハッとさせられることが多いのです。今日もいろいろと伺ってみたいことがあります。早速ですが、設楽さんは電通を辞めて、まったく畑違いの世界に飛び込まれました。どんな気持ちで、新しいコンセプトのビジネスを創業されたのでしょうか。

設楽 僕は1951年生まれで、テレビで米国のホームドラマを見て、その暮らしぶりに憧れを持って育った世代です。いつかライフスタイルを提案するようなことをしてみたいと思っていました。電通に入社する前後にオイルショックが起こり、家業の段ボール製造が苦境に立たされました。構造不況業種なので多角化しないと将来がない。そこで、「ライフスタイルを提案する店」を始めたのです。電通時代、「いずれ独立する」と熱く語っていた仲間たちが、何年かするとトーンダウンしていく様子を見て、自分は夢を語るだけでなく一歩踏み出したいという気持ちもありました。

尾原 創業時に最も苦労したことは何でしょうか。

設楽 情報がなかったことですね。当時はインターネットや情報誌はないし、業界に知り合いもいない。仕入れる先もない。大きなバッグを持って、自ら米国に買い付けに行きました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の知り合いを尋ねて、学生寮を見せてもらったのですが、スポーツや音楽など個々人の趣味によって部屋の雰囲気がまるで違う! 同じ部屋なのに、別々のライフスタイルがそこにあったのです。これを再現したいと思いました。

そこで、7畳ほどの小さな店の真ん中にテーブルを置き、ろうそく立て、ネズミ捕り、お香、スケボーのホイール、ジーンズ、Tシャツ、スニーカーなど、学生の部屋にあるようなものを置いて売り始めました。お金がないので、売れたら買いに行くことを繰り返し、よく売れるのはジーンズやTシャツだったため、気づくと洋服屋さんのようになっていました。しかし、目指してきたのは、あくまでもライフスタイルの提案です。

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