バイオリニスト竹澤恭子 デビュー30年のバルトーク
世界で活躍するバイオリニストの竹澤恭子氏がデビュー30周年を迎え、11月8日に東京で記念公演を開いた。1988年に米ニューヨークのカーネギーホールで国際デビューした際にも弾いたベーラ・バルトーク(1881~1945年)の「無伴奏バイオリンソナタ」を中心に、リハーサルの合間にこれまでの歩みと抱負を聞いた。
現在パリを拠点に活動している竹澤氏は、まず米国から世界へと羽ばたいた。86年の第2回インディアナポリス国際バイオリンコンクールで優勝した。この年には旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きたため、当初目指したモスクワでの第8回チャイコフスキー国際コンクールへの出場を断念し、代わりに米中西部インディアナポリスで4年ごとに開かれるまだ新しい国際コンクールに出場したのだった。
■カーネギーホールで弾いたバルトークの作品
桐朋女子高校音楽科に在学中の82年、第51回日本音楽コンクールで第1位となった。85年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、国際コンクールを目指した。「もっと勉強をしたいと思っていた」が、インディアナポリスでの優勝を境に「自分の生活がガラッと変わってしまい、すぐに演奏活動へと向かっていかなければならなくなった」と振り返る。世界的に注目される中で88年、カーネギーホールとサントリーホール(東京・港)という日米を代表する大ホールで「名演」と語り継がれるデビューコンサートを開いた。
――バルトークの「無伴奏バイオリンソナタ」はあなたにとってどんな作品か。
「(ハンガリー出身で米国で没した)バルトークは、私の音楽人生の中でたくさんのチャンスを与えてくれた作曲家といえる。30年前にデビューコンサートをカーネギーホールとサントリーホールで開いたときもこの曲をプログラムに入れた。そして今回、デビュー30周年記念コンサート(新日鉄住金文化財団主催の紀尾井ホールでの11月8日『竹澤恭子ヴァイオリン・リサイタル』)でもこの曲をプログラムに入れた」
――バルトーク「無伴奏バイオリンソナタ」のどんなところにひかれるか。
「バルトークの音楽に出合ったのは中学生の頃だったと思う。『バイオリン協奏曲第2番』を聴く機会があり、そのときにこの作曲家が持っている宇宙を思わせるような幅広くて大きな音楽の世界にひかれた。それともう一つは力強さにとても魅了された。彼はハンガリーなど東欧をはじめ各地の民族音楽を熱心に研究していたが、民族音楽を取り入れた作品の中にあるリズムの力強さにいつも私は演奏するたびにひかれる」
■30周年に音の色彩感と深みのある表現を追求
「そういった民族音楽の要素、リズムの力強さ、彼自身が持つ力強さなどをすべて注ぎ込んだのが『無伴奏バイオリンソナタ』だ。(ナチスドイツの迫害から逃れるために)彼がニューヨークに移住した後に書いた晩年の作品。私が尊敬する米国のバイオリニスト、ユーディ・メニューイン氏がバルトークに委嘱した。メニューイン氏はこの曲をカーネギーホールで初演したが、私もカーネギーホールでデビューコンサートを開いて同じ曲を弾いたため、運命的なものを感じる」
91年発売のデビューCDは「竹澤恭子 バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ他」(発売元:BMGビクター)。ここで彼女は鋭く研ぎ澄まされた精巧な演奏を繰り広げている。バルトークの音楽が持つ原初のエネルギーと、緻密で理知的な前衛性が完璧な演奏によって見事に融合している。デビュー30周年の今回の演奏では、こうした要素を保ちながらも、愛器の1735年製ストラディバリウス「サマズィユ」からより深みを追求した味わいのある響きを醸し出していた。
――この曲の演奏はどう変わってきたか。
「この作品に対して感じる魅力は昔から一貫したものがあると思う。バイオリニストにとって技術的にも非常に難しい曲。とても複雑に曲ができていて、しかも無伴奏だから独りで音楽を作り上げていかなければいけない。デビューした頃、最初の録音のときもそうだったが、とにかくチャレンジして曲を形にしようとしていた。曲に振り回されず、自分で作り上げていくために若いエネルギーで弾いていたと思う」
「今またこの作品に向かい合ってみると、音の色彩が豊かであることも感じる。もっと大きな目で、客観的な目ももって作品を自分なりに解釈、理解して弾いていきたい。もう一歩踏み込み、今までの経験を生かし、繊細なところまで表現できたらと思っている」
8日のデビュー30周年記念リサイタルは彼女のこれまでの軌跡をたどるプログラムとなった。バルトークの「無伴奏」のほかに印象深かったのはベートーベンの2つのバイオリンソナタだ。イタリアのピアニスト、エドアルド・ストラッビオリ氏との共演で、作曲年が9年も隔たっていて性格も対照的な「バイオリンソナタ第9番『クロイツェル』」と「同10番」だった。
■スピリチュアルなブロッホの音楽にも傾倒
――今回の公演でベートーベンの「バイオリンソナタ」を2曲も取り上げたのはなぜか。
「10年以上前にベートーベンのバイオリンソナタ全曲演奏会を開いた経験があるが、そのときに『第1番』から『第10番』までを通して、ベートーベンがどう変化していったかを感じながら演奏した。ただ『第10番』に関しては全10曲の中でも手探り状態で弾き終えたところがあった。『第10番』には穏やかなもの、精神的なものが流れている。『第9番』はそれに反してベートーベンのヒロイックな性格が前面に出た曲。今回は『第9番』から『第10番』のような穏やかな音楽に至った経緯は何かについて勉強し、2つのソナタの核心を表現する経験をぜひしたかった」
今回の記念公演で聴き手に最も強い印象を残したのは実はスイス出身で米国で活躍した作曲家エルネスト・ブロッホ(1880~1959年)の「バール・シェム」という3曲構成の作品だったかもしれない。新古典主義風の洒脱(しゃだつ)な曲調と、バイオリンの可能性を追求した楽想の魅力を竹澤氏は十分に引き出し、内省的で深みのある旋律を歌わせた。
――ブロッホの音楽に傾倒する理由は何か。
「ユダヤ人作曲家のブロッホは、バイオリンの魅力を伝える音楽を書いた。私はニューヨークに留学していたので、ユダヤ人の音楽家と出会う機会に恵まれ、友人も多かった。彼らの弦楽への情熱にはいつも憧れと魅力を感じていた。『バール・シェム』の3曲中、『懺悔(ざんげ)』という曲は彼の母にささげられた語るような音楽。そのスピリチュアルな部分にひかれた。バイオリンの魅力を十分に表現することができたらいいなという思いでプログラムに入れた」
最近は室内楽やオーケストラでの演奏にも力を注いでいる。指揮者の小澤征爾氏が率いる水戸室内管弦楽団にも参加している。「小澤先生には定期的に自分の演奏を聴いてもらい、アドバイスをいただいてきた」。今後はさらに「弦楽四重奏団にも取り組む一方で、無伴奏の作品のレパートリーも増やしていきたい」と語る。この先10年間の目標の一つとしてバッハの「無伴奏バイオリンソナタとパルティータ」全曲演奏を挙げる。早くから世界で脚光を浴び続けたバイオリニストは新たな音楽世界を開こうとしている。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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