俳優・徳井優さん 「好きなことやれ」裏に戦争体験
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の徳井優さんだ。
――お父様には口癖のような言葉があったそうですね。
「『好きなことをやれ』。僕の顔を見ればもうとにかくこればかり。毎日のように言われました。僕には成績優秀で面倒見のいい兄貴がいるんですが、『兄ちゃん見習え』とさえ言われなかった。僕も試験前くらいは勉強しないといけないなと思って机に向かうんですが『無理するな。人には向き不向きがあるんだから』なんて言うんですよ」
「子どもの頃は分からなかったけれど、この言葉の裏には戦争体験もあったみたいです。亡くなる前に入院先に見舞いに行った時も『兵隊1人ではどうにもならないことが多かった』と戦中の中国での思い出を話していました。戦争で自分が好きなことをできなかったとか苦労した話とかは一切しなかったけれど」
――お母様の人柄は。
「すごく明るくてひょうきん。若い頃は浪曲師になりたかったと聞いたことがあります。でも病弱で、苦労したと思います。戦後は業界紙の記者になっていたおやじは遊び好き。母は家を出て行ってしまったこともありました。心配してついていった僕に『優しい子だね。すぐ帰るから大丈夫だよ』と話した時の光景は忘れられません」
「将来の仕事を意識したのも母と一緒にいた時でした。小学生の時に母と兄と3人で買い物に出掛けた時に兄が『将来は弁護士になりたい』と言い出し、母は『それは勉強せんといかんね』って。僕も漠然とそれなりのスケールの夢を持たなければと思ったんです。それがやがて演劇への思いにつながりました」
――俳優の道を選んだことにご両親からは。
「何とか食べられるようになったのは20代後半。引っ越し会社のCMが30代頃かな。おやじは『職業俳優は難しいだろう』と繰り返していました。電話すると、必ず『ご飯食べられているか?』。これは亡くなるまで変わりませんでした。母も僕が家族で帰省した時には必ず、おやじが入浴する隙にたんすから数万円出してきては黙って妻に渡していました。やはり心配だったんでしょう」
――ご自身の子育てにご両親の影響はありますか。
「僕も子どもに『好きなことやれ』と言っていますね。でもうまく伝わっているかなあ。映画『体操しようよ』で共演した親子役の草刈正雄さんと木村文乃さんをみていて改めて感じましたが、親子には近いからこそ難しい距離感、本音を出せそうで出せないほろ苦さがありますよね」
「今は亡き両親と自分とのことを考えてもそう。親子は死んでも逃れられない関係じゃないですか。僕は介護を十分できなかったこともあって両親が死んだ気がしないというか、まだそばにいる感じなんです。僕の心の中にずっとい続けるんでしょうね」
[日本経済新聞夕刊2018年11月6日付]
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