Men's Fashion

還暦すぎてもチャレンジ ぶっ倒れるまで仕事をしたい

SUITS OF THE YEAR

ファミリーマート社長 沢田貴司氏(下)

2018.11.9

「チャレンジを纏(まと)う=スーツ」をコンセプトに、「挑戦し続ける人」を表彰する賞として、日本経済新聞社の「NIKKEI STYLE Men's Fashion」と世界文化社の「MEN'S EX」が共同で今年新設した「スーツ・オブ・ザ・イヤー」。そのビジネス部門の受賞者、ファミリーマート社長の沢田貴司氏は、常に挑戦し続ける経営者として知られる。沢田氏に、仕事と装いについて聞いた。

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――ビジネスマンとして、これまでで最大のチャレンジは何ですか。

「今もチャレンジしているし、いつが最大のチャレンジかは分かりません。ただ、伊藤忠商事を辞めたのは大きかったですね。1981年に大学を卒業して入社、サラリーマンを引退するまで伊藤忠にいるつもりでしたので」

「伊藤忠ではイトーヨーカ堂グループ(現セブン&アイ・ホールディングス)と米国のセブンイレブンの再建に携わりました。そこで『小売業はすごい、おもしろい』と。やったことはすぐ結果に出てくるので、新鮮で魅力的にみえました。それで価値観が変わったというのか。いても立ってもいられなくなって、飛び出たというところですね」

――1997年に再就職した先は、カジュアル衣料品店「ユニクロ」を運営するファーストリテイリングでした。

「人材あっせん会社の紹介です。当時は、ユニクロのことを何も知らなかったですね。社長の柳井正さんとの面接では、『店長候補で入れてほしい』とお願いしました。加えて『1年間だけは、伊藤忠と同水準の給料を保証してほしい』と(笑)。子供もまだ小学生でしたので。そうしたら柳井さんは全部受け入れてくれたんです」

■たまたまバットを振ったらボールが当たった

――ファストリでは入社から半年ほどで常務に、さらに翌98年には副社長に就きます。仕掛けた「フリース」は一大ブームとなりました。

「本当についていましたね。仕掛けたつもりは全くありません。たまたまバットを振ったらボールが当たったようなものです。私が副社長、営業本部長のときです。柳井さんが東京・原宿への出店を決めて、『お前がやれ』と言われました。本当に悩みましたね。『果たしてユニクロが原宿で売れるのか』と」

「そんなとき、英国のアパレルブランドからユニクロに転職してきた女性がいたのです。ある夜、話してみると、『ユニクロではみんなが一生懸命努力していいものを作っている。なのに、お客さんにそれが伝わっていない』と漏らしたのです。そのときは何もピンとこなかったのですが、翌朝起きると、まるで何かが降りてきたように『フリースだっ』て。興奮しちゃいましたね」