ベルリン音楽祭の挑戦 現代音楽の精髄に迫る

少し間を入れてリゲティの「アトモスフェール」(1961)が始まると、まさに稀有(けう)な「気配」が漂う。ベルリン・フィルでしか醸し出すことのできない雰囲気だ。未知の音響表現を切り開いたリゲティ。技法の革新が目的ではない。実験でもない。精神的なもの、神聖なものの次元が新たに現成したのである。クライマックスはスペイン風の「イベリア」3曲。100年前のドビュッシーの革新性をも再認識した。聴衆の感覚を根本から刷新する達意のプログラミングと最高の演奏が合体した至福の一夜だった。

みずみずしい感性と知性が融合

旧知の曲を通して感覚が洗われ、魂が蘇生する経験。ドヴォルザークの「レクイエム」が、ヘレヴェッヘの斬新な感性によって別の曲のように立ち現れた(11日)。手兵コレギウム・ヴォカーレ・ゲントとベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団との共演。限りなく繊細で透明な音響から実に意味深い世界が広がる。民族色を強調せず、ロマン主義的な解釈にも傾かない。一方で教会音楽の純度を徹底してキープしているのだが、他方では、いかにドヴォルザークがワーグナーの管弦楽法やモティーフを自作に活用していたかが手に取るように分かる。みずみずしい感性と透徹した知性が融合したヘレヴェッヘの音楽。再現芸術の創造性は無限だ。

シュトックハウゼンのINORIを指揮するエトヴェシュと男女のダンサー(Adam Janisch撮影)

音楽祭を締めくくったのはシュトックハウゼンが観念的に設計した芸術宗教「INORI」(18日)。この作品は「人類文化の一部として私が受容した宗教性の結論である。すべての世界宗教は私にとって人間文化に属するが、私自身はそれらに関与しようとは思わない。しかしすべての儀礼的なものは、私にとっては最高の価値を持っている」。

この発言から明白なように、シュトックハウゼンは全宗教儀礼に共通する要素を抽出して記号化し、パントマイムと楽音の型(形式)として再構築した。それは宗教性というよりも、西洋合理主義の帰結である。と同時に、近代啓蒙の限界をもあらわにしている。身ぶりと音楽はほぼ同期して進行するが、いつもすでに何らかの作為的な模倣であって、魂の奥底からの表現ではない。

肉体を欠いた物的身体、魂を欠いた抽象的知性。筆者の偽らざる実感である。とはいえシュトックハウゼンは、あたかも新興宗教の教祖のように、現代音楽ワールドではカリスマであり続けている。今年の音楽祭の白眉とされたINORI。だが、歌舞伎や能の身体性と様式美を知る者にとっては、いささかむなしさの残る儀礼パフォーマンスであった。

(音楽評論家 藤野一夫)

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