桐谷さんの優待投資 リーマン・ショックで心の支えに

日経マネー

 リーマン・ショックの時には、強気の信用取引が裏目に出て資産が一時約5000万円まで急減。「追い証の恐怖で夜も眠れないし、まさに死ぬような思いのどん底」という状況から、約10年かけてここまで復活してきたのだ。

桐谷さんの株式投資の“歴史”をたどったのが上の図だ。

株を始めたのは、プロ棋士として現役真っただ中の1984年。仕事として毎月1回、証券マンに将棋を指導していたのが縁で、株を付き合いで買うようになったのがきっかけだった。「最初は二十数万円ほどの投資でしたが、1カ月で5万円も儲かりました」。

その後、投資額を次第に増やしていくのと時期を同じくして、日本はバブル景気に突入。89年末には日経平均株価が4万円に迫る高値を付け、桐谷さんも大波に乗って約1億円の利益を得た。「自分は株の天才かもと思いました。まあ、その頃はみんな同じように思っていたんでしょうけどね」

好調に乗じて信用取引も始めた。ところが、そこが相場のピークに。バブル崩壊で株価が下がる中でもどんどんと買った結果、利益の大半を吹き飛ばした。

 これに懲りて株の売買をしばらくやめていたが、「喉元過ぎれば……で、2年後に少しだけ売買を再開。その後はこつこつと資産を増やしていたのですが、今度は97年の山一証券の倒産に直面して再び大きな損。この時も信用取引で失敗しちゃいました」。

転機となったのは、2000年頃からの証券取引のネット化。安い手数料を味方に売買を積極的に行い、資産を急拡大していく。03年からの小泉相場にもうまく乗り、06年初めには資産が3億円に達した。「株を買わなきゃ損だと思うくらい、気は大きくなっていたかも」。

07年には57歳で将棋を引退。「そこで、これから株に全力を注ぐぞと信用取引も拡大させました」。しかし、まさに二度あることは三度ある。サブプライムローン問題とリーマン・ショックによる相場急落に巻き込まれ、ここで前述の「どん底」に落ちることになる。「1日に2000万円くらいのマイナスになることもありました。信用取引の追い証で、毎日何百万円と用立てなくてはいけない。とにかく手持ちの値がさ株をどんどん売って充てました。あんな恐怖は二度と味わいたくないものです」。

そんな状況の中で救いになったのが、手元に残していた金額が少ない株の優待品や優待券だった。「お米とか食事券、買い物券などのおかげで食いつなぐことができたんです。優待ってありがたいものだ、と心底思いましたね」。

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