紛争地での医療支援、自らが手本に 吉野美幸さん
外科医(折れないキャリア)
1年の半分は埼玉県内の病院で、もう半分は海外の紛争地などで医療支援を展開する非政府組織(NGO)「国境なき医師団(MSF)」の現場で働くフリーランスの外科医。医療テレビドラマの主人公とイニシャルをかけて、周りからは「埼玉のドクターY」と呼ばれることもある。
これまで派遣されたのはナイジェリア、パレスチナ自治区、パキスタンなど、アフリカや中東を中心に9カ国・地域で計17回に上る。状況は厳しい。「視界の先で空爆があった時は緊張した」。銃創など見たことのない外傷で運ばれてくる患者が大勢いる中、人手は限られ「日本の20人分くらいの仕事を1人でこなすようなイメージ」だ。
多くの現場では先進国で当たり前のCTスキャン、磁気共鳴画像装置(MRI)といった検査機器がなく、自らの触診で手術の要否を判断する。はじめのころは「責任の重さに恐ろしくなった」。助けられなかった命を思って裏で涙を流すこともあった。
それでも後から論文を読んだりほかの医師に聞いたりして自らの処置を振り返り、徐々に力を付けていった。「どうしても助からない命があることものみ込まなければ仕事を続けられない」と、精神的なタフさも身につけた。
1年のうち半分も海外の現場に出るのはMSFでも異例の働き方だ。1カ月程度の休みを取っていく医師が多いが、より長い期間を過ごしたいと考え、自らロールモデルを作ってきた。医師になって10年ほど国内で修業を積んだ後、人材会社に登録し半年程度の期間で契約してくれる病院を探した。
異色の勤務形態は現在の勤務先でも前例がなかったが、事情を理解してくれた。周りに負担をかける分、急患や予定外の手術を積極的に引き受けるなどして、チームに貢献しようと努める。「日本での仕事を続けることで、どんどん進歩する最新の医療から遅れないようにしたい」という思いもある。
今年7月、日本人男性と入籍した。MSFの仕事にも理解を示してくれる。今後は子供を持つことも望んでいるが、海外協力は幼い頃からの夢。「うまくバランスを取りながら海外と日本の仕事を続けていきたい」と新たなモデルの開拓を目指す。
(聞き手は木寺もも子)
[日本経済新聞朝刊2018年10月29日付]
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