「和の美意識」を世界に発信 吉本が少女歌劇団
大正期から太平洋戦争終戦間際まで、日本各地に少女歌劇団が30ほど存在した。戦後、その大半は解散し、存続した宝塚なども団名から少女を外し、大人の女性が演じる歌劇団として今日に至っている。純真無垢な少女たちが演ずるレビューやミュージカルをもう一度見たい。そんな思いから吉本興業は2019年7月、大阪市に少女歌劇団を創設する。
「もう一度、少女歌劇を」の声強く
少女歌劇団創設の序奏は2014年、堺市に端を発する。吉本の大崎洋社長が出身地である堺市の竹山修身市長と対談した際、地元活性化のアイデアとして、1924年(大正13年)から10年ほど堺市に存在していた大浜少女歌劇団の復活を持ちかけた。同劇団は旧阪堺電気軌道が開設した娯楽施設「大浜潮湯」の出し物として誕生。宝塚に対抗する歌劇として人気を博していたが、34年の室戸台風で劇場が被災したのをきっかけに解散した。「堺でもう一度、少女歌劇団をみたい」と周囲の声も盛り上がり、2014年に堺少女歌劇団として80年ぶりに復活した。
堺少女歌劇団は地元に密着している。運営の中心は堺商工会議所、堺東商店街連合会などだ。団員は地元の小中学生で約60人が在籍している。公演は堺市内の公共施設を中心に開くほか、地域の祭りやイベントで歌とダンスを披露している。観客も堺市民が多い。吉本は活動を支援する立場で関わり、運営主体に同社の役員が加わっている。
堺少女歌劇団とは別に、吉本が新たに始める少女歌劇団は大阪市を拠点とし、日本だけでなく世界に向けて発信する。地元密着の堺少女歌劇団とは方向性が大きく違う。メンバーは11歳から17歳の女性が対象で、18年末までメンバーを募集する。オーディションを経て19年4月にメンバー決定、7月が初舞台となる。大阪市内の中心部に200~500人収容の専用常設劇場を設け、毎日あるいは毎週末など定期的に公演を開く。
専属の演出、脚本担当に舞台監督、アニメなどのクリエーターとして知られる広井王子氏を起用する。雪組、月組、花組の3チーム編成とし、1チームはCG(コンピューターグラフィックス)によるバーチャルメンバーで構成する。男役や喜劇を演じるコメディエンヌも養成する。劇場での公演はインターネットで世界に向けて同時発信する。
少女歌劇団は娯楽の少なかった大正時代から昭和前半にかけて、国民的な娯楽として広がった。戦後の混乱の中、予算面での厳しさもあって、宝塚歌劇団など大きなスポンサーが付いた一部の劇団を除くと、多くは解散に追い込まれた。ただ、戦前に人気を博したように日本にはそもそも少女歌劇団を受け入れる素地がある。近年はAKB48、NMB48など専用劇場を持つアイドルが流行し、少女歌劇団が一層、受け入れられやすい時代になったと吉本はみている。
メンバーは茶道、華道、日本舞踊を稽古
吉本の大崎社長は「今回、少女歌劇団を立ち上げる目的の一つは、和の美意識を体現すること」と語る。メンバーは茶道、華道、日本舞踊などを習い、舞台に日本古来の伝統美を映し出す。少女歌劇団なので、メンバーは20歳になったら退団する。広井氏は「退団後はビジネスの世界に行ってもいいし、海外に羽ばたいてもいい。少女歌劇団をスタート地点とし、どこに行っても通用する人材を育成する」と意欲をみせる。
発表会見に出席した元NMB48の門脇佳奈子さんは「私もそうだったが、自分で退団の時期を決めるのは難しい。20歳になったら退団すると決まっていれば、そこを目標に完全燃焼できる」と語る。NMB48の新旧メンバーや吉本のお笑い芸人たちも、レッスンの講師役などで少女歌劇団をサポートする。
メンバーの条件は「舞台に立ちたいという意欲を持っていることだけ」(広井氏)で国籍は問わない。宝塚のようなトップスターも作らない方針だ。あくまで専用劇場の舞台が中心でテレビ、映画などへは出演しない。舞台はレビューから始め、将来はミュージカルも手掛ける。少女歌劇団の成長ぶりに注目したい。
(編集委員 鈴木亮)
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