健診受けっ放しはダメ 呼び出し無視すると就労制限も
こちら「メンタル産業医」相談室(28)
11月に入り気温が下がるとともに、街路樹が鮮やかに紅葉し始めました。皆様の心と体はお元気でしょうか? こんにちは、精神科医・産業医の奥田弘美です。
さて突然ですが、読者の皆様は健康診断のあと、「要精密検査(要二次検査)」「要医療」「要治療」などと記された項目について、きちんと医療機関を受診されていますか? 産業医に呼び出されて「データが悪いので、病院へ行ってすぐ治療(または検査)をするように」と直接指導された経験のある人もいることでしょう。もしくは会社の人事担当や保健スタッフから、同様な内容の促しを口頭や文面で受けた人もいらっしゃるかもしれません。
「なぜ自分の健康診断の結果について、会社や産業医が病院へ行くように口を出すんだ? 自分の体のことだから放っておいてくれよ」と、うるさがって無視していませんか? しかしそれは大変危険な考え方です。
放置していると、仕事を制限されることも
もし健康診断で二次検査や治療を促されているにもかかわらずに放置して病気が悪化すると、仕事を制限されてしまったり、場合によっては就労させてもらえない事態に陥る可能性があります。
なぜならば、会社には「安全配慮義務」が労働法で課せられているからです。労働契約法第5条では、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と安全配慮義務を規定しています。
簡単に説明すると、使用者(会社)は、労働者の健康が悪化すると予見されるような仕事や、労働者を危険にさらすような職務を与えてはならないということ。つまりもし社員が何らかの病気を患っていることを会社側が知っている場合、さらに悪化させるような働き方はさせられないし、その病気があるがために危険が発生する恐れのある業務につかせてはならないのです。
しかし会社側には医療の知識は通常ありませんから、産業医が代わりにその判定を行い、会社は産業医の意見を参考に就業上の措置を決めることになります。例えばどのような就業上の措置がとられるか具体的にケースを挙げて紹介しますと…
「糖尿病や肝機能などの血液データが安全な範囲に改善するまで、残業は免除(もしくは1日○時間以内)、出張やシフト勤務は主治医の許可が出るまで禁止」
「血圧が正常域に下がるまで、残業は中止とし、社用車の運転は見合わせる」
「貧血が改善するまで、高所作業や危険作業は免除」
「心電図や胸部レントゲンなどで異常が出ている箇所に対して医療受診し、主治医の許可が出るまで残業は1日○時間以内までとするとともに、出張は見合わせる」
…といった感じです(これらはあくまでも一例であり、就労制限の内容や範囲は総合的な健康状態、職種、会社や医師の考えによって異なります)。
また、あまりにもデータが悪化している場合は、ある程度の安全域に改善するまでや、主治医の許可が得られるまでは「要休業」、つまり就労を中止しなければならないという判断が一時的になされることもあります。
例えば、血圧が「収縮期血圧200mmHg/拡張期血圧120mmHg」を超えている場合や、糖尿病で空腹時血糖値が300mg/dLを優に超えるような高血糖状態が続いている場合は、治療が開始されてデータが安全域に落ち着くまでは、産業医側は要休業を意見する可能性が高く、会社もその意見を尊重することが多いでしょう(判断基準は職種や作業内容、医師・会社の考えによって多少異なります)。貧血や肝機能異常、心電図異常などでも、重症な状態まで悪化している場合は、受診して主治医により就労の安全性が確認されるまでは要休業の措置がとられることがあります。
筆者も現在都内で複数の会社の嘱託産業医を兼務しているため、例年多数の健康診断のデータをチェックしており、上記のような就労制限の意見書を少なからず作成し各会社に提出しています。
健診結果に基づいて就労制限を産業医が意見するときは、上記以外にも様々なケースがありますが、これらすべての健康診断結果には「要精密検査」または「要治療」と表示されているのは言わずもがなです。
そしてこの就労制限措置に至る過程では、数年前から「要再検査」「要精密検査」「要治療」などと表示されているにもかかわらず、二次検査や治療を放置していた結果、病状を悪化させてしまったパターンが圧倒的に多いというのも実情です。産業医としては、「もう少し早い段階で治療を始めてくれていたらここまで悪化せず、就労制限をかけなくても済んだのになあ」と非常に残念な気持ちになります。
このような就業上の制限をかけざるを得ない状態まで健康状況を悪化させてしまうと、社員自身が自由に存分に働けなくなりますし、場合によっては評価も下がってしまいます。会社側も予定していた業務をこなしてもらえなくなるため非常に困りますし、代わりの人員を手配しなくてはならなくなったり、他の社員に余計な負担をかけざるを得なくなったりもします。
社員にとっても会社にとってもアンハッピーなこうした状況を避ける意味でも、健康診断で異常が指摘された場合は、速やかに二次検査や治療に行っていただきたいと思うわけです。
社員には自分の健康を保つ義務がある
さて以前の記事(「会社の健康診断 『パスした人』の思わぬ末路」)で、健康診断を受けることは労働者の義務として労働安全衛生法第66条で定められていることをお話ししました。実は労働者は健康診断をただ受ける義務だけではなく、「自分の健康を保つための努力をする義務」を負っています(労働安全衛生法第26条)。
これは「自己保健義務」と呼ばれています。健康管理は、労働者自身の体や心の問題であるため、労働者自身が自分の健康を保とうとする行動や努力をとらない限り、いくら会社側が安全や健康を配慮しようと思っても難しいからです。
自己保健義務は、簡単に言うと「労働者は、会社と契約した業務を提供できるように、健康状態を自分自身でも可能な限り整える義務がある」ということです。もちろん多くの病気の発症は遺伝や体質、様々な環境要因が絡んでいるため、本人の努力だけでは予防できないものです。しかし、もし健康診断で病気や異常が見つかった場合は、会社側は安全配慮義務に基づきそれ以上悪化させないように受診を促したり、状態によっては就労を調整したりする一方、労働者側は自己保健義務に基づき速やかに健康を回復するための行動(治療や生活改善の努力)をとらなければならないということになるのです。
健康診断で非常な異常値が見つかって産業医面談を行っても、
「高血圧だけど、薬は一度飲むとやめられなくなるらしいから絶対に飲みたくない」
「糖尿病で食事を制限するのは嫌だしお金もかかるから、治療はしたくない」
「酒を飲む楽しみをやめたくないから、肝機能が悪化していても病院には行かない」
…などと抵抗し、治療を拒否される社員さんにまれに出会います。
会社側は治療を社員に強要することはできませんが、健康状態が悪化したまま通常業務につかせることは安全配慮義務に反しますので、当然ながら悪化の程度によって仕事の制限がなされることになります。
もしその病気がさらに悪化して仕事中に倒れてしまった場合、会社側がしっかり就労制限を行って安全に配慮していたのであれば労災認定を受けることは非常に難しいでしょう。仮に万が一、会社が産業医の意見を無視して病気が悪化していることを知っていたにもかかわらず長時間労働などをさせて過労死が発生し労災が絡んだ労働争議に発展したとしましょう。この場合も裁判によって労働者側が自己保健義務を怠っていたことに原因があると判断された場合は、非常に不利な判決になる可能性があります。
賠償額が50%減額されたケースも
実際の判例では、長時間労働を続けたのちに脳出血によって過労死が発生したシステムコンサルタント事件(東京高判平成11年7月28日 判例時報1702号88頁)が有名です。この労働裁判では、会社側の安全配慮義務違反があったと認めたものの、労働者側の自己保健義務違反もあるとされ、賠償額が過失相殺によって50%減額されてしまいました。「毎年会社から健康診断の通知を受けており、自ら高血圧であったことを知っていたにもかかわらず受診しなかった等、自らの健康保持について何ら配慮していないこと」が過失相殺の理由の一つとされています。
いかがですか? 健康診断の結果を放置しておいてはいけない理由がご理解いただけたと思います。今年も残すところあと2カ月弱となりましたが、健康診断で二次検査や治療の必要性が指摘されている人はぜひ年内に受診され、一日も早く健康ケアに取り組まれることをお勧めします。
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント。1992年山口大学医学部卒。精神科医および都内20カ所の産業医として働く人を心と体の両面からサポートしている。著書には『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)、『1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター)など多数。日本マインドフルネス普及協会を立ち上げ日本人に合ったマインドフルネス瞑想の普及も行っている。
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