顔面移植 米国女性、新しい顔で取り戻す人生
18歳のときに顔を失った米国の女性ケイティ・スタブルフィールドが、21歳で顔面移植を受け、新しい顔を得た。ナショナル ジオグラフィックは、移植前から移植後までケイティに密着取材し、日本版2018年11月号「新しい顔で取り戻す人生」で取り上げる。最新の医療技術、家族の愛、背景にある若者の自殺問題など、様々なことを考えさせられる。
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米国オハイオ州のクリーブランド・クリニックでは、外科医チームが3日前に法的にも医学的にも死亡宣告された31歳の女性の顔を摘出していた。摘出された顔は、新しい顔を待つ21歳の女性ケイティ・スタブルフィールドに移植されることになる。ベテランの形成外科医フランク・パペイが手袋をした手でトレーを持ち上げ、摘出した顔を慎重に運ぶ。
ケイティは米国で顔面移植を受ける最年少の患者となる。このクリニックで実施される顔面移植はこれで3例目、知られている限り、全世界で40例目だ。
顔を失ったケイティ
ケイティは18歳で顔を失った。ケイティの世界が崩れ始めたのは、彼女が高校生のとき。顔を失う前年、彼女は虫垂炎の手術を受け、合併症を起こして胆のうを摘出した。そして2014年3月25日、ケイティが恋人の携帯電話をのぞくと、そこに別の女の子へのメッセージがあった。問い詰められた恋人は別れを切り出した。
傷つき、逆上したケイティは兄ロバートの狩猟用の銃を持ち出し、自宅のトイレにこもって、自分の顎に銃口を当て、引き金を引いた。鍵のかかったドアを蹴破ってロバートが中に入ると、血だらけの妹が倒れていた。「顔が吹き飛んでいた」。
銃弾は一瞬にして多くのものを奪った。額の一部、鼻、鼻腔、口角をわずかに残して口全体、顎と顔の前面を形作る下顎骨と上顎骨のかなりの部分……。目は残ったが、ゆがんで、ひどい損傷を受けていた。
自殺未遂から5週間余り後にオハイオ州クリーブランドのクリニックに転院したとき、ケイティはこうした状態だった。最初に手術を受けたテネシー州の病院の医師たちは彼女の命を救うことはできたが、腹部から採取した皮膚を移植して、顔面に大きく開いた傷口を塞ごうとする試みはうまくいかなかった。
クリニックで最初にケイティを診た医師のブライアン・ガストマンは、彼女を担架に乗せながら、この患者は持ちこたえられるだろうかと不安になった。ケイティはとても小柄だ。生存できたとしても、必要な手術をすべて行うには、彼女の体から採取できる皮膚組織が足りないかもしれない。「脳が露出した状態で、てんかんの発作や感染症など、あらゆる種類の問題が起きやすくなっていました」
医療チームの横顔
48歳のガストマンの専門分野は、頭部、頸部、皮膚、それに致死性の高い軟部組織のがんで、形成外科医として腫瘍の切除と、その後の再建も手がける。
クリニックの皮膚科形成外科研究所を率いるフランク・パペイは64歳。何年にもわたって顔面移植を手がけてきた経験から、チームの良き助言者となっている。
何度にも及んだ手術で、ガストマンと専門家チームはケイティの容体を安定させ、顔の傷を塞ぎ、砕けた骨を修復した。ガストマンはケイティの太ももの皮膚組織を採取し、間に合わせの鼻と上唇をつくった。顎と下唇にはアキレス腱の一部を使った。さらに筋肉がまだ付着した腓骨の一部とチタンで、新しい下顎をつくった。離れた両目を近づけるために、骨延長器と呼ばれる装置を頭蓋骨に取り付けた。
ケイティはこの状態の自分の顔を一度も見ていないが、手で触って、どうなっているか想像がついた。彼女は、その顔をアニメーション映画の怪物、シュレックになぞらえる。
2004年までは、最も高度な再建技術をもつ形成外科医であっても、ケイティほどひどい損傷を受けた患者には、彼女が「シュレック」と呼ぶ顔しか与えられなかった。
移植医療の飛躍的な進歩
状況が変わったのは2005年。この年、フランスの外科医チームが世界初の部分的な顔面移植を行った。しかし、この分野の最先端を走っていたのは、ケイティが治療を受けているクリーブランド・クリニックだ。ポーランド出身の女性医師マリア・シェミオノフが顔面移植が可能なことを実証するため、何年も前から研究を行っていた。
2004年に顔面移植の実施を正式に認可されると、その4年後、シェミオノフをはじめ、クリニックの外科医チームが米国初の顔面移植を行ったのだ。
ところで、顔面移植はまだ実験段階にあるため、民間の医療保険は適用されない。ケイティの手術費は米国防総省が米軍再生医療研究所を通じて支給した助成金で賄われた。
ケイティが顔面移植に関する臨床研究の被験者となる前に、ガストマンやパペイらはスタブルフィールド夫妻に何時間もかけて新しい顔がケイティにとって何を意味するかを説明した。食べたり、話したり、鼻から息を吸ったり、まばたきするなど、機能の回復の方が見た目よりもはるかに重要だとパペイは話した。
「以前のような顔にはなれません。人前に出ても問題ないでしょうが、元の顔に戻れるわけではないのです。ひどく損傷した状態に比べれば、見た目は良くなります。でも、どれほど良くなるかは一概に言えません」。医療チームにとっては、患者や家族が過大な期待をもたないようにすることが、大きな課題の一つだとパペイは言う。
患者の精神状態を基に、顔面移植の被験者として適格かどうかを判断する作業には、精神科医のキャシー・コフマンが関わった。自殺未遂は問題を複雑にするという。「精神科医として、患者がまた自殺を図る可能性を見極めなければなりません。その責任は重いです」とコフマンは話した。「ケイティは精神的にとても安定していると思います。あれ以来、一度も自殺願望を口にしたことはありません」
ケイティの元の顔の筋肉組織はほぼすべて失われ、ドナーの組織に入れ替えられた。ケイティはそれらの筋肉が動いている感覚がないまま、動かす練習をしなければならない。
ガストマンによると、彼女の神経線維は月に3センチ伸びていて、やがては感覚も運動制御もよみがえるが、再生には少なくとも1年かかる。現在は、口を自然に閉じてはいられず、指で顎を押し上げて閉じるといった状態だ。
点字の学習も続けているが、スタブルフィールド夫妻はケイティの視力回復を諦めていない。夫妻によると、米ピッツバーグ大学のチームが眼球を丸ごと移植する研究を進めていて、10年以内には実施される見通しだという。
(文 ジョアンナ・コナーズ、写真 マギー・スティーバー / リン・ジョンソン、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2018年11月号の記事を再構成]
[参考]ナショナル ジオグラフィック11月号では、特集「顔面移植」でさらに移植に至るまでの手術の履歴や、顔を提供したドナーの素顔を紹介しています。このほか、温暖化で氷が解ける南極大陸の動物たちの現状のレポート、2050年に90億人となる世界人口を支えることが期待される「未来の食べ物」を紹介。また、シリーズ鳥たちの地球では、窮地に追い込まれる東南アジアの珍鳥「オナガサイチョウ」を掲載しています。
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