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モデルなき作曲家の道 望月京氏支えた「何とかなる」 作曲家・望月京氏が語る(下)

2018/11/5

作曲家・望月京氏

日本の現代音楽をけん引する作曲家の望月京氏(49)は、青山学院初等部、中等部(東京・渋谷)を経て東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校(芸高、同・千代田から台東に移転)に進学。その後も芸大、芸大大学院、パリ国立高等音楽院で学んでおり、音楽家になるため順風満帆の道を歩んできたようにみえる。ところが、本人には常に「ここが自分の場所なのか」という「場違い感」があったという。悩みつつも前に進み続けられたのは、最後は「何とかなる」と割り切れる、青山学院で培った自信があったためだ。

のびのびとした青学初等部から一転、中等部では悩んだ。

青学初等部はいくつかの小学校の中からここに行きたいと私自身が選んだように母から聞いていますが、中等部はそのまま上がったので、自ら積極的に選んだという感じではないですよね。芸高受験も実は自分で決めた記憶が全然なく、いつの間にやら受けることになっていたんです。

3歳ぐらいからヤマハの音楽教室に通っていましたが、両親とも音楽家ではなく、「習い事の1つ」という感じでした。それが、世界的なチェリストのロストロポーヴィチ氏の指揮で自作を演奏する機会があって、たぶんリップサービスだったと思うんですけれど、彼から「お嬢さんは音楽の才能があるから音楽学校に行った方がいいんじゃないか」と言われたらしいです。ヤマハの中でもそういう話があったかもしれませんが、私としてはあまりあずかり知らぬ話で。何だか芸高を受験するらしいな、という空気ができてくると、両親がとても厳しくて、それに抗うことはできなかったんです。

同級生のほとんどはそのまま青学の高等部に進学します。みんなが中等部生活を満喫しているなか、自分だけ連日のようにレッスンに通い、受験準備でしょう? 渋谷という場所柄もあって、校内に何となく華やかでかっこいい子のグループと地味な子のグループがあったのですが、自分は「地味な子」であるという実像以上に、不当に地味な生活を送らされている気がしてました。「場違い感」というか、「私何やってるんだろう?」という気持ちで悶々とした時期でした。

そんな状況でしたが、中3で担任になった英語の高口恒美先生は凛とした感じが素敵な女性で、大好きでした。芸高に入れなかったら他を受験しなければならなかったので、進路についても私以上に真剣に考えてくださいました。親身に生徒の話を聞きながらも、からっと現実的で、センスがよく、いつもいきいきとしていらして、人間として魅力がありましたね。ある意味、突き放すようなところもあって、「卒業したらいつでも会いにいらっしゃい」と言ってくださる先生が多いなか、高口先生は「戻ってきちゃダメ」とおっしゃるんです。「戻っていないで、先を見ないと」ということですね。

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