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それでも親子

女優・紺野美沙子さん 実父の存在が心のよりどころに

2018/10/26

1960年東京都生まれ。慶応義塾大学文学部卒。女優として活躍する傍ら、国連開発計画親善大使として活動。2010年から「紺野美沙子の朗読座」主宰。11月3日に岐阜県図書館で公演予定。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の紺野美沙子さんだ。

――ご両親についてほとんど知られていませんね。

「私には実父と養父がいるのです。実の両親は私が小学2年生の時に離婚しました。その後母と祖母、私が真ん中の3人姉妹の5人で2年ほどくらしましたが、私が小4の時、母はNHK交響楽団のホルン奏者だった養父と再婚し、6人家族となったのです」

「離婚以前の実父の記憶は断片的です。小学校入学時に仮性近視と診断された時、夜な夜な散歩に連れ出されて2人で星を見たこと、私が悪いことをした時、外に出されてひどく叱られたことぐらいです。なぜ離婚したのかは本人同士のみが知るところだと思います。亡くなった母はサラリーマンだった実父が『賭け事が好きだった』などと言っていましたし、私も馬がたくさんいる場所に行ったことは覚えていますが」

――母の離婚・再婚は小学生にはショックでしたか。

「姓が養父のものに変わったことと、公立校から私立カリタス小学校への転校が同時に起き、ショックというより『何が起きているの』という感じでした。誰にも知られたくないし、周囲に気をつかわれたくもないと感じました」

「養父は私たち3人姉妹を大学まで出してくれ、仲も悪くなかったのですが、どこか違和感がありました。家庭内の平和を保つためにいい子を装う自分がいたり、小学校5年生のクラブ活動で演劇に出合い、のめり込んだのも現実逃避の気持ちからだったのかもしれません。自分が家庭を持つときは、何よりも安らげる場所にしたいという思いも抱きました」

――実父と紺野さんの交流は復活したのですか。

「私が31歳で結婚するまで会う機会はありませんでした。20代初めに、実父の学生時代からの親友という方から手紙が届き、そこには実父がいかに娘たちのことを思っているかがつづられていました。早稲田大学時代にハンドボール部で活躍したそうです。会う機会がつかめずにいたのですが、結婚を機に夫に紹介することができました」

「そして私が舞台の仕事に軸足を移した40代前半、実父との関係に転機が訪れました。実父が観客としてしばしば劇場に来てくれるようになったのです。実父の故郷は栃木県足利市ですが、主宰する朗読座の栃木県小山市公演には、初対面の伯母たちや、いとこたちなどが来てくれました。一族皆仲良しな彼らとの交流、実父と普通に話ができるようになったことを素直にうれしいと感じました」

「今は母も義父も亡くなり、実父も80歳代半ばとなりました。私自身、年を重ねたことで、無償の愛情で応援してくれる実父の存在は貴重でありがたいものになってきました。実父が元気でいてくれることは、心のよりどころなのです」

[日本経済新聞夕刊2018年10月23日付]

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