なにわの繁盛居酒屋 奇抜演出も味の決め手は家族純情
かんさい食物語
「今な、大人のオモチャ大祭典やってんねん。あとで抽選してってや」。大阪を代表する繁華街、梅田の大阪駅前第3ビル地下にある居酒屋1969。レトロな写真やハロウィーンの飾り付けが壁を埋め尽くすわい雑な雰囲気の店内で、お通しを運んで来たOL姿の女性の口から出た言葉に思わず吹き出した。
メニューに目をやると、紅ショウガの天ぷら、串揚げ盛など大阪らしい料理の横に「便器DEカレー」「しびん生ビール」など奇抜な献立。「なんやねんこの店は。何でもありの大阪やなあ」
3つある店内では20~30歳の女性スタッフ約10人がお客さんの横に立ち、談笑する姿があちこちで見られる。そこには大阪の下町を舞台に、活力あふれる主人公が登場する漫画、じゃりン子チエに描かれるディープで明るい大阪がある。
1969は第3ビルで心理学の学校を営んでいた澤井淳一郎さん(54)が、スタッフや生徒の食事の場にと2001年に開業した。店名は淳一郎さんが1969年(昭和44年)をイメージして付けた。開業当時に50歳代半ばだった団塊世代が学生運動などを経験したのが昭和44年前後だ。
「スタッフが話しかけてくれ、気取らないアットホームな店」。大阪の商社に勤務する男性(56)は刺激的で居心地の良い1969ワールドにのめり込み常連になった。
15人大家族の2男5女で切り盛り
メニューなどの奇抜さに続いて、お客さんが驚くのが1969の大家族経営だ。会長を務める淳一郎さんは7男6女、13人の父親。このうち成人した2男5女がレギュラーメンバーとしてフロアや厨房で働く。絆も大切にし、毎週月曜日は兄弟姉妹全員が朝4時に起き、大阪市内をランニングする。
長女で代表の麻衣さん(34)は「1日の終わりを楽しく過ごしてほしい。常に新しい仕掛けを作り、何度でも来てもらえる場にしたいという思いを全員が持っている」。
メニューの多さに加え、価格設定も独特だ。ランチは、日替わり、チキン南蛮、トンテキ定食、野菜天丼などが軒並み380円。夜の居酒屋は午後8時まで生ビールが1杯100円だ。
「インパクトを狙ってとことん安くした。ただ、味がまずいと父からだめ出しが出る。『自分だったらこんなもんが食べたい』というものを出している」(麻衣さん)
うまい安いの根っこに商家の伝統
江戸時代以来、「天下の台所」として栄えた大阪は全国から食材が集まり、大阪商人が商談や接待、冠婚葬祭に利用したことから様々な分野の飲食店が発達。商人、町人らを中心に安く、栄養があり、うまい料理にはけちけちしない「食い倒れ」文化が築かれていった。
大阪出身の作家、織田作之助も代表作「夫婦善哉」で「何れも銭のかからぬいわば下手もの料理」ばかりを食べ歩く主人公、柳吉を通じ、大阪の庶民の気取らない食文化の一面を描いている。
商家では伝統的に、無駄を省く「始末」、創意工夫を凝らす「才覚」、コストを計算する「算用」の3要素が重要視され、自由奔放な1969などの飲食店経営にも反映されている。
85歳双子姉妹が現役で接客
大阪出身の著名なイラストレーター、黒田征太郎さん(79)が「いつも元気をもらっており、大好きな店」とこよなく愛す店が南船場の「十代橘」。繁華街の心斎橋に近い下町風情が漂う一角にある小料理店では85歳の双子姉妹、十代都喜子さんと葛野都司子さんが朝から晩までフル回転する。
姉妹は、早朝から総菜を仕込み、昼は店頭で総菜や弁当を作って売り、夜は居酒屋となる店内で接客という日々を送る。「誰もチップはくれません。"自前芸者"ですわ」と激務でも気さくな笑顔を絶やさない。調理は都喜子さんの長男で店主の隆史さん(58)が腕を振るい、孫2人らがフロアを手伝う。
都喜子さんは嫁いだ先の会社が倒産し、「家族を養うため」喫茶店経営などを経て79年ころに十代橘を開業した。くしくも都司子さんも嫁ぎ先の会社が倒産、姉の店で働くことになった。2人は借金返済のため、家族とともに支え合い身を粉にして働いた。
近くに弁当店が相次ぎ開店し、昼の定食の売り上げが落ちると、95年ごろから総菜や弁当を始めた。総菜は朝4時に店に出て、毎日20~30種類を仕込む。
夜になると2人はお客さんの横に座り、自らもビールを傾けながら、「そんなこっちゃあかんで」と大阪漫才を思わせる鋭い突っ込みで、閉店近くまで場を盛り上げる。
都喜子さんは肝臓がんなど大病を患ってきたが「働かせていただいてありがたい」と自然体だ。時にコミカルに、時に頼りがいがある存在として描かれる大阪のおかんがそこにはいる。(野間清尚)
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