人生ドラマ、意志ある若手を世界へ導く 奈良橋陽子氏
キャスティングディレクター 奈良橋陽子氏(下)
キャスティングディレクターの奈良橋陽子氏(東京・神楽坂のアップスアカデミーで)
米ハリウッドと日本人俳優をつなぐキャスティングディレクターの奈良橋陽子氏は、幼少期をカナダで過ごし、16歳で日本に帰国した。インターナショナルスクールを経て、国際基督教大学(ICU)へ入学。国際色豊かなその環境が、奈良橋氏の「日本社会への入り口」になった。その体験は自らの個性を自覚し、キャリアを定める契機となった。(前回の記事は「渡辺謙をハリウッドへ 奈良橋陽子氏、配役の目利き力」)
「他者」と出会い、個性を自覚した学生時代
「みんな、髪が真っ黒!」――。1960年代、16歳で日本に帰国した奈良橋氏が初めに抱いた感想だ。周囲に日本人がほとんどいない場所で、さまざまな国の人と交流する海外生活が長かった。「目の色も肌の色も髪の色も、違うのが当たり前になっていた」と振り返る。
「そんな私の姿を見ていて、父が進学を勧めてくれたのがICUでした。当時は俳優を目指していましたが、『芸能を仕事にするにしても教養は必要。ルーツである日本社会についても知っておくべきだ』とアドバイスをもらったんです」
教養学部語学科(当時)に入学。緑でいっぱいのキャンパスには、多様性あふれる環境が広がっていた。国内の他の大学に比べれば、当時としては異質だっただろう。奈良橋氏のように海外から帰国した日本人学生のほか、日本の高校を卒業した日本人学生、海外からの外国人留学生もいた。
「学生なりに整理するためでしょうか、『ノンジャパ』『半ジャパ』という言葉がありましたね。ノンジャパニーズ(ジャパニーズではない=外国人)、半ジャパニーズ(半分だけ日本人=両親のどちらかが外国人)の略です。私は父も母も日本人なのですが、外国人学生と同じタイミングの9月に入学したせいか、『半ジャパ』にカテゴライズされていました。明るくじゃれ合うようなニュアンスだったので、嫌な気はしなかったですよ」
「半ジャパ」と呼ばれた理由を、奈良橋氏はこうも分析する。
「私が『日本人っぽく』なかったということもあるのかもしれません。事実、ずっと日本の教育システムの中で育ってきた学生とは、考え方や振る舞いがかなり異なりました」
例えば、授業中。教員が「質問はありますか」とたずねても、学生の反応は真っ二つだった。外国人学生は次々に手を挙げる一方、日本人学生の多くは静まり返っていたという。