元SME社長・丸山茂雄さん 「経営は科学」父の影響
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)社長の丸山茂雄さんだ。
――生まれてすぐに戦争が始まったのですね。
「そう。当時、東京・飯田橋駅近くの同潤会アパートに暮らしていました。3階の部屋の窓際に布団を積み上げていたのをよく覚えています。空襲の影響を少しでも和らげるためですね。東京大空襲を機に、父の田舎、長野県の茅野に家族で疎開しました」
「父は日本医大の大学病院に勤めていました。疎開先から軍医として召集されましたが、すぐに終戦を迎えたため戦地には行かずにすんだ。東京に戻ると焼け野原の中に鉄筋の同潤会アパートは残っていました。姉と弟も含めて家族5人戦死者なし。住む家も残り本当にラッキーでした」
――お父さんは丸山ワクチンを開発した丸山千里さんですね。家は裕福だった?
「とんでもない。病院勤めでカネはなく、母親が子供3人の服やランドセルまで作ってましたね。成長に合わせて、セーターをほどいて少し大きめに編み直す作業を毎年やるんです。貧しい時代です。子供に物欲なんてなかった」
「ただ、私も医者になるんだろうなと思い、父もそのつもりでした。成績は割と良かったんですが、高校(都立小石川高校)でラグビーを始めて成績がずるずる下がった。練習で疲れて眠くてね。2浪しても医学部は受からず、早稲田の商学部に入りました」
――お父さんは落胆されたんじゃないですか。
「どうやらこの子は出来が悪いんだな、と気付いたようです。私が『学者になりたい』と言うと、『2代続けて学者の貧乏暮らしは無理だ』と言われました。そこで『じゃあ稼ぐしかない。サラリーマンになってやろう』と。大学時代は小石川高校のラグビー部の監督をやりました。その時の経験が経営者としての基礎になっていると思います」
――佐野元春や小室哲哉ら有力アーティストの育ての親と言われますね。経営者としてお父さんの影響は?
「あります。感覚的な男だと見られがちですが、部下からは『学者っぽい』と言われるんです。マーケティングはデータの分析。科学の再現性と同じです。こうすれば同じ結果が再現できると読む。一か八かではなく、科学的な目でロックをベースにした音楽ジャンルを手に入れました」
――がんと闘っています。
「今は落ち着いていますが、2007年に食道がんが見つかり何度か再発。通常治療と合わせ丸山ワクチンも打っています。父は誰も作らなかった皮膚結核の薬としてワクチンを開発した。今も正式には認可されず、父は学会の主流ではなかった。でも、がんにも効くと期待しワクチンを求める人がいます。空いているスペースにこそチャンスがあるのは、ラグビーも音楽ビジネスも同じ。ただ、皆と違う方向に行くのは孤独です。それも父親に似ているかな」
[日本経済新聞夕刊2018年10月16日付]
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