戦後闇市に現れた天才陶芸少年 紅の装いは70年前から陶芸家 辻厚成氏(上)

「考えてみると日本は世界でもまれな陶芸国で伝統があり、焼き物のスタイルのバラエティーは世界一なんです。ただ、私は東京の陶芸家ですから、地方の作家みたいに十何代目とか名乗ることもできませんし、やはりそういう伝統技術の上に新しさを取り入れていかなければならない。東京には世界中のものが集まっていますが、オリジナルのものは意外にないんです。『それなら、東京オリジナルのひとつになりたい』と思い、『東京陶芸家』と名乗っています」

5歳から作陶を始め、9歳で美術展に出品。陶芸活動は70年にわたる

――日本の社会は同調圧力が強いといいます。どのようにお考えですか。

「それをお話しすると日本の教育論になってしまいますね。息子(陶芸家、辻厚志氏)は幼稚園からインターナショナルスクールに行かせたのですが、小学生のときに校長から呼び出されたことがありました。『お前の息子は学校で眠っている』というのです」

「よくよく聞いてみると、『授業で意見を言わないことは寝てると同じ。それなら学校に来る必要はない』というのです。で、息子に聞くと『意見を考えているうちに授業が終わってしまう』というのです。『友達は考えが固まらないうちから発言権を得るために手を挙げているんだ』という。そういうところから自分を表現するということが養われているのです」

■ちょっと変わった祖父のもと

――ご自身は子供の個性と自発性を尊重する「自由教育」の学校の出身です。

「自由教育で知られる和光学園の小学校に通っていましたが、小学6年生のときに祖父(実業家、辻清吉氏)の薦めで玉川学園に移りました。祖父から『どうせ行くのなら自由教育の本山へ行け』と言われたのです」

「今年で76歳になるものですから、なるべく明るい色を着たいと思っています」

「祖父は戦前の大金持ちでしたので、成城学園で中学校開設に尽力した小原国芳先生にずいぶん資金協力したらしいのです。その後、昭和初期のいわゆる成城事件が勃発して、ひとつの流れが玉川となり、ひとつの流れから和光ができます。小原先生からは玉川を立ち上げる際にも協力を求められて支援したそうです。で、私を小原先生のところに連れて行ったところ、『辻さんの孫ならあすから来なさい』といわれたという次第です」

「祖父の自慢のひとつは、成城と玉川を応援したこと。それと博物学者の南方熊楠をずっと支援したというのも祖父の誇りなんです。ちょっと変わったじいさんでした。祖父は洋服も好きでこだわっていました。その影響か母も服好きでした」

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