U22

池上彰の現代史を歩く

内戦や虐殺、傷痕深く 悲劇の王国カンボジア

2018/10/15

カンボジアの歴史やポル・ポト政権時代について現地解説する池上彰氏(プノンペン)=テレビ東京提供

世界遺産「アンコール遺跡群」で知られるカンボジア。1970年代後半、独裁者ポル・ポトに支配され、数百万人ともいわれる国民が殺されたという悲しい歴史があります。ゼロからの再出発の国づくりを日本は手伝い、絆を深めてきました。「何が起きていたのか」。現地を訪ね、極限状態を生き抜いた人々の証言とともに悲劇の歴史をたどります。

日本が遺跡の保存・修復を支援

東南アジアの新興国カンボジア。首都プノンペンから飛行機で約1時間。人気の観光地シェムリアップは、世界遺産「アンコール遺跡群」で知られます。

日本は遺跡の保存や修復を支援しています。遺跡は何百年もの間、風雨にさらされて傷んでいるだけではありません。かつての内戦で壊されたり、弾痕が残ったりしています。戦争は遺跡も破壊するのです。

遺跡群の一つ「アンコール・トム」にあるバイヨン寺院。修復作業に携わるチア・ノルさんに話を聞くことができました。実は日本と深い関わりがあります。

内戦下のカンボジアを脱出し、日本に難民として訪れたチア・ノルさんにインタビューする池上彰氏(右)(遺跡「アンコール・トム」にて)=テレビ東京提供

「ポル・ポト政権時代、私が9歳だったころのことです。医師だった父、高校生だった2人の兄は捕まって殺されました。私も母から離され、兵士として養成されたのです。一日を生き延びるために必死でした」

彼は80年、13歳で命懸けで内戦下のカンボジアを脱出し、日本に難民として迎えられました。日本語や生活習慣を学び、借金をして大学に進学しました。当時を知る里親は「彼は学費の借金を返し、よく努力した。誠実で素晴らしい人物です」と懐かしんでいました。そして祖国の遺跡を守る事業に関わることになったのです。

少しポル・ポトについて補足しましょう。彼は「原始共産制」を目指し、極端な政策を強行しました。たとえば貨幣を廃止し、宗教を禁止。子どもは家族から引き離して国家が管理します。都市部の住民を農村部へ強制移住させたのです。

特に知識人を敵視しました。教師、留学生、眼鏡をかけた人などは処刑の対象になったそうです。諸説ありますが、当時の人口は約600万人とみられ、犠牲者は推定100万人とも、300万人ともいわれます。映画の題名にもなった「キリング・フィールド」とは大量虐殺があった処刑場などを指します。30代以上が少ない人口構成になってしまい、国の再建に大きな課題を抱えたのです。

東西冷戦に翻弄された王国

悲劇の王国は、朝鮮半島やベトナムと同様に東西冷戦に翻弄されてきました。

53年、カンボジアはフランスの植民地から独立します。70年、シアヌーク殿下が海外訪問中、クーデターで親米派のロン・ノル政権が誕生したのです。裏で糸を引いていたのはアメリカでした。

一方、カンボジア共産党がシアヌーク殿下を担ぎ、反政府勢力「カンプチア民族統一戦線」が誕生します。これを中国などが支援します。ポル・ポトは75年4月、米軍のベトナム撤退で弱体化していたロン・ノル政権を倒しました。そして約3年8カ月、“狂気”の支配が続いたのです。

一体何が起きていたのか、当時を知る人々に話を聞くことができました。

元ポル・ポト兵のサルーンさんを訪ねました。

「16歳で強制的に部隊へ入りました。ポル・ポトが何を実現したかったのかわかりませんでした。大勢の国民が殺されていることは知っていましたが、反対できなかった。私は両親も兄弟も殺され、内戦後に地雷の事故で左足を失いました。互いに助け合い、差別のない国になってほしい」

絵描きだったボウ・メンさんは、2万人が収容されたというトゥール・スレン刑務所で生き残った7人のうちの1人です。

スパイ容疑で連行されたボウ・メンさんにインタビューする池上彰氏(左)(プノンペン)=テレビ東京提供

「アメリカのスパイ容疑で連行され、暴力と尋問の日々でした。妻も暴力を受けました。ポル・ポトがなぜ多くの国民を殺したのか理解できません。一握りの幹部が罰せられただけで、政権関係者はいまも生きている。謝罪の言葉もありません。私にはいまも終わっていない問題なのです」

ポル・ポト時代の清算はいまも終わっていないのです。

やがて78年12月、ベトナム軍がカンボジアへ侵攻すると、ポル・ポト政権はあっけなく崩壊してしまいます。今度はベトナム寄りのヘン・サムリン政権が樹立され、ポル・ポト派などとの内戦になります。混乱の時代が続きました。

89年にベトナム軍が撤退した後、対立してきた関係者が歩み寄り、91年にパリ和平協定がまとまります。カンボジアの新しい国づくりに日本も協力することになります。

激論が交わされた自衛隊のPKO派遣

国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC、明石康特別代表)がつくられました。UNTACの下で、憲法を制定する議会選挙が実施されることになりました。日本では国連平和維持活動(PKO)への自衛隊参加をめぐって、国会で激論が交わされたのです。

PKO協力法が成立し、自衛隊はPKOへ初めて派遣されることになりました。道路の補修、橋の建設、物資の輸送などを担ったのです。その後、アフリカなどでのPKOにも参加しました。「国際貢献とは何か」を考える大きな出来事だったのです。

ところが、復興を支える日本人2人が殺害される事件が起きました。現地の警察官養成のために文民警察官として派遣された岡山県警の高田晴行さん。選挙を支援する国連ボランティアだった中田厚仁さんです。

中田さんがカンボジアでの活動に参加した動機について、テレビ東京の取材に答えていました。一部を紹介します。

「子どものころ、ポーランド在住時にカンボジアで国民が殺されたことを知りました。そうした問題を防ぐためにできることは何かということを考えました」

中田さんは現地の人々に選挙へ参加してもらおうと、あえて治安の悪い地域を担当したそうです。中田さんの父親は息子の遺志を受け継ぎ、国連ボランティア名誉大使として活動されました。現地には厚仁さんの名前にちなんだ「アツ小学校・中学校」があり、いまも子どもたちが学んでいます。

いけがみ・あきら 東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)、「池上彰の18歳からの教養講座」(同)、「池上彰の世界はどこに向かうのか」(同)、新著「池上彰の未来を拓く君たちへ」(同)。長野県出身。68歳。

98年、ポル・ポトは潜伏中のジャングルで亡くなりました。特別法廷で一部の元政権幹部は裁かれましたが、すべて解明されたわけではありません。

当時の政権側にいた人々と、家族を殺された人々が同じ国内でいまも暮らしています。同じ国民どうしが加害者と被害者に分かれて争えば、新たな国づくりの障害になりかねません。カンボジアは内なる課題を抱えながら再建の途上にあるのです。

〈お知らせ〉

コラム「池上彰の現代史を歩く」はテレビ東京系列で放映中の同名番組との連携企画です。ジャーナリストの池上彰氏が、20世紀以降、世界を揺るがしたニュースの舞台などを訪れ、町の表情や人々の暮らしについて取材したこと、歴史や時代背景に関して講義したことを執筆します。

[日本経済新聞朝刊2018年10月15日付]

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