高音質で耳にも優しい オーダーメードイヤホンを作る
「年の差30」最新AV機器探訪
有線や無線だけでなく、耳を覆うオーバーヘッドタイプ、耳の中に入れるカナルタイプなど、さまざまな種類があるイヤホン、ヘッドホン。近年、注目度が高まっているのが一人ひとりの耳に合わせて作るオーダーメードイヤホンだ。遮蔽性が高く小さな音でも楽しめるため、耳にかかる負担も少ないという。とはいえ、まだ作ったことがある人は少ないだろう。そこで平成生まれのライターが実際に作ってみた。昭和世代のAV評論家に連れられ訪ねたのは、東京・東銀座にある補聴器店だった。
◇ ◇ ◇
歯科技工所なのになぜイヤホン?
小原由夫(54歳のオーディオ・ビジュアル評論家) きょうは僕も愛用しているオーダーメードイヤホン「FitEar(フィットイヤー)」を作るため、須山歯研が展開する須山補聴器に来ています。
小沼理(26歳のライター) 事前に工程を調べてみましたが、型をとるために耳の中にシリコンを注入するみたいで……大丈夫かなあ。
小原 私は無事に終了しましたが、小沼さんは果たしてうまくいくかな。
須山慶太(須山歯研 代表取締役社長) そんなに怖がらせないでください(笑)。事故が起こることのないよう、補聴器を製作するときと同じ手順で安全を確認した上で耳型採取を行いますから。
小沼 なるほど、補聴器と同じ手順なんですね。それを聞いて安心しました(笑)。最初に聞きたいのですが、どうして「須山歯研」という社名なのにイヤホンや補聴器を作っているのでしょう。
須山 実は入れ歯などを作る歯科技工と補聴器の作製は、技術も材料もほとんど同じなんですよ。
小沼 えっ! そうなんですか。
須山 補聴器メーカーで補聴器を作る人の多くが歯科技工士ですよ。業界的に重なっているんです。須山歯研は入れ歯を作る企業として創業しましたが、1985年にその技術を応用し、オーダーメードの補聴器を作るようになりました。
小原 イヤホンにちょっと近づいてきましたね。
須山 オーダーメードイヤホンを作るようになったのは、2001年のiPodの登場がきっかけです。私はその頃からApple信者でして、新製品が発売されるとすぐに購入して、分解してホームページにアップしていたんです。
小沼 筋金入りですね(笑)。
須山 iPod付属のイヤホンを分解しているときに、ふと、「耳に合わせた形状で作ったらもっと音が良くなるのでは」とひらめいたんですよ。材料もあるし、面白そうだなと思って作ったのが最初です。
小沼 最初は遊びだったんですね。事業として始めたのはいつごろですか?
須山 ホームページを面白がって見てくれていた人に、舞台演出をしている人がいて、依頼をいただいたのが04年。そこからイヤモニ(インイヤーモニターの略。ステージ上のミュージシャンに必要な音を伝える装置)の製作が始まったんです。
小沼 そうか、イヤモニもミュージシャン一人ひとりに合わせたオーダーメードですものね。
須山 ビジネスとして本格化したのは06年ごろですね。個人向けにオーダーメードイヤホンを作り始めたのは08年ごろです。
小原 事業はすぐ成長したんですか。
須山 最初は全体の1割以下でしたが、3年前に歯科技工分野の売り上げと逆転しました。今は55%ほどが補聴器やイヤモニ、オーダーメードイヤホンの売り上げです。
小沼 すごい! 趣味が身を助けた結果ですね。
「持ち運べるオーディオルーム」
小沼 小原さんも普段からフィットイヤーを愛用していますよね。
小原 何種類か持っていて、環境によって使い分けています。
須山 きょうの小原さんのものは「FitEar TITAN」というモデルですね。フィットイヤーには複数のラインアップがあり、5万円から30万円のものまで用意しています。
小沼 30万円! 本格的なオーディオをそろえるのと同じくらいの金額ですね。
小原 今回小沼さんが製作するのは4万9800円(税抜き)のエントリーモデル「FitEar ROOM」ですが、それでもなかなかのモノだと思いますよ。
小沼 どんなところがフィットイヤーの魅力なんでしょうか。
小原 小さな音量でも情報量が多いことです。普段、家のオーディオで聴こえている音が、外出時に聞き取れないと物足りなく感じますが、フィットイヤーはそれがない。使っていて気持ちがいいですね。
小沼 オーダーメードで耳にフィットする、遮音性の高さに由来するのでしょうか。
小原 それもありますし、イヤホン自体のダイナミックレンジ(音の大小を再現できる範囲)が広いこともあるでしょう。高い音も低い音も、細かな音も聞き分けられるので、例えばクラシックを聴くのに向いていますね。
須山 「持ち運べるオーディオルーム」がコンセプトなんです。電車やバスのような騒がしい場所だと音量を上げてしまいがちですが、耳を痛める危険もあります。静かな環境を作り出すことで、小さな音量でもしっかり楽しめて、耳に負担をかけずに済むようになります。
小沼 そうか、小さな音で聞けるということは耳の負担も小さくなるということなんですね。
小原 初めて聴いたとき、これはすごいと思いました。本当に周りの音が聞こえなくなりますから、電車などで聴くには素晴らしいですね。ただ、歩きながら使うのは危険です。小沼さんは歩くときも買い物をしているときも音楽を聴いているそうですから、気をつけて。
小沼 そんなに遮音性が高いんですか。で、これから耳型をとるわけですが……ちょっと緊張してきました。
シリコン印象材を耳に注入
須山 全体の流れとしては、耳に関するアンケートにお答えいただいた後、耳の穴を目視で確認。問題がなければ型を取るためのシリコン印象材が鼓膜側に行かないようスポンジを入れ、シリコン印象材を耳に注入します。
小原 耳掃除してきました?
小沼 いつもより念入りにしてきましたよ!
須山 耳型を取るうえで問題はないようですね。では、スポンジを入れて、シリコン印象材を入れていきます。
小沼 うわあ……「ぬぷっ」と液体が入ってくる音がして、気持ち悪いですね(笑)。耳の中がぱんぱんに詰まっているような圧迫感もあります。
須山 「プールの中に入ったよう」と表現される方もいます。耳の穴に圧力がかかっているので、一度大きく口を開けて、その後顎を左右に何回か動かしてください。そうすることで、完成したイヤホンがきつくなりすぎるのを防げますから。5分ほどで硬化して取り出せるようになりますので、しばらくお待ちください。
小原 外から見ていると面白いですね。エイリアンに卵を産み付けられたみたいだ。
小沼 (鏡を見ながら)糸が垂れているのもシュールですね。
須山 この糸は鼓膜を保護するスポンジにつながっているんです。印象材注入のとき、圧力でスポンジが奥に押し込まれないよう押さえておくためのものなんです。
須山 そろそろ固まったと思います。では、外していきますね。
小原 あっ! 耳の内部が一緒に全部出てきちゃってる!
小沼 ええっ! って、そんなわけないでしょう(笑)。でも、自分の耳穴が正確に写し取られたと思うと、恥ずかしいですね。じっくり見られたくないような……。
須山 でも、すごく良いかたちですよ。細すぎたり、極端に曲がっていたりしないので、良い条件で作りやすいかたちです。もう一方の耳でも同じ工程を繰り返して、作業は終了です。完成までは通常でだいたい4~6週間ほどですね。
小沼 どんなものができるか楽しみです!
小さな音も聞き取れる
小沼 フィットイヤーが完成したので、再び須山補聴器にやってきました。
須山 こちらになります。
小沼 おおー! 自分の名前やシリアルナンバーも入っていて、オーダーメードという感じがします! でも、耳型とそっくりそのままというわけではないんですね。
須山 負担のかかる部分はあえて細くしたり、必要に応じて肉付けしたりと外形を調整し、高い遮音性と快適な装用感を両立できるよう製作しています。では実際に装着してみてください。
小沼 どれどれ……。本当だ、装着しているとお二人の会話がほとんど聞こえないですね!
小原 音楽も聴いてみてください。どうですか?
小沼 小原さんも前回言っていた通り、小さな音量でも細かな音までしっかり聞き取れます。聴いていて発見が多いイヤホンが好きなので、これはいいですね。
須山 今いる場所は比較的静かですが、電車などで使ってもらえるとより効果がわかると思います。ぜひ、色々と使ってみてください。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道から、さっそくフィットイヤーを使ってみた。
電車での移動中にも使ってみたが、装着しただけでは案外周囲の音は聞こえる。人の話し声やアナウンスは聞こえないが、大きな音は聞こえるようだ。
カナル型イヤホンのほうが周囲の音をカットできるが、耳の奥まで詰めるため、使用中に耳が痛くなってしまう場合がある。一方、フィットイヤーは詰めるのではなく、耳にぴったりと蓋をする感覚。これだと、室内での利用時に長時間着けっぱなしでも、耳への負担が少なくて済みそうだ。
音楽を再生すると、音量が小さくても音の輪郭がくっきりしていて、高音から低音まで聞き取れる。細かい音もきちんと表現するので、ジャンルに限らず、音数の多い音楽を聴くと発見がある。
さらに明瞭なぶん没入度が高いのか、実際には聞こえているであろう雑音が気にならなくなる。ただ、須山さんも言っているとおり、フィットイヤーは歩きながらの利用は推奨していない。いつものくせで装着しながら少し歩いてしまったが、確かに周囲の音が聞こえない。外出中は電車などの移動中に使うようにし、歩くときには耳から外すようにしたい。イヤホンにはクリップがついており、耳から外してもシャツなどに留めておくことができる。
須山さんによれば「使う場所だけでなく、時間にも注意が必要」だそうだ。耳に合わせて作ったフィットイヤーは一般的なイヤホンより小さな音量で音楽を楽しめるが、耳への負担は音量と時間の2つの要素が関係する。小さな音量でも長時間聴き続けると耳を痛めてしまう場合があるという。
イヤホン・ヘッドホンで安全に音楽を楽しむ「SAFE LISTENING(セーフリスニング)」を提唱する須山さんは「音量と時間の関係を意識し、時々耳に休憩を与えることも忘れないでほしい」と強調する。長時間音楽を聴き続けることが多い自分にとっては、文字通り「耳の痛い」話だった。
初めて聴く曲はフィットイヤーで
有線で、周囲の音が聞こえないことを考えると、街中を歩きながらずっと音楽を聴くには不向き。ただ、耳への負担が少なく疲れにくいため、室内で音楽に没頭したいときにはうってつけだ。
たとえば、音の情報量が多いので、はじめて聴くアルバムを集中して聴きたいときに使ってもいいだろう。小沼も外出時には完全無線イヤホンのEARIN M-2(※)を使用しているが、Apple Musicなどで楽しみにしていたアーティストの新作が公開されたときには、まずこのイヤホンで聴くようになった。自宅でじっくり聴きたいときにも愛用している。[※EARIN M-2については記事「完全無線イヤホン先駆者 EARIN新機種の進化と変化」参照]
入門モデルでも決して安価ではないが、実際に使ってみて、電車やバスでの移動中にもいい音で楽しみたい人や、オーディオルームまでは作れないが音にこだわった環境を手に入れたいという人には検討する価値があると感じたイヤホンだった。
1964年生まれのオーディオ・ビジュアル評論家。自宅の30畳の視聴室に200インチのスクリーンを設置する一方で、6000枚以上のレコードを所持、アナログオーディオ再生にもこだわる。フィットイヤーで聴くのにお薦めの曲は「ショスタコーヴィチ/交響曲第4番」(アンドリアス・ネルソンス指揮、ボストン交響楽団)。「あるカーオーディオコンテストの課題曲で、陰鬱で難解な交響曲ですが、こういった曲の分析には打ってつけ」
小沼理
1992年生まれのライター・編集者。最近はSpotifyのプレイリストで新しい音楽を探し、Apple Musicで気に入ったアーティストを聴く二刀流。フィットイヤーで聴くのにお薦めの曲は「ギラメタスでんぱスターズ」(でんぱ組.inc)。「アイドルソングは音数が多いですし、ボーカルのユニゾンも聞き取りやすいので」
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(文 小沼理=かみゆ、写真 田口沙織、ヒロタコウキ)
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