個性あふれる「幽霊」ビール醸造所、日本でも出没
ビールの「ファントムブルワリー」をご存じだろうか。ファントム、つまり「幽霊」のブルワリー(ビール醸造所)ということだが、自前の醸造設備を持たないブルワリーという意味だ。そんなファントムブルワリーが呼びかけた大イベントが9月、都内で開かれた。
9月23日と24日、東京・明治神宮外苑で「クレイジーなブルワー(ビール醸造者)が最も集まる」とうたった「ミッケラービアセレブレーション東京(MBCT)」が開催された。自由な発想による個性豊かなビールが世界40ブルワリーから320銘柄提供された。チョコレートアイスクリーム味、木樽長期熟成による木の香りとさらなる発酵による酸味、カカオとトウガラシの絶妙なバランス――。多くのビールファンが「ぶっ飛んだ」ビールを心ゆくまで楽しんだ。
イベント名の「ミッケラー」とはブルワリーの名前だ。デンマークのコペンハーゲンで誕生し、瞬く間に世界中でファンを増やした人気ブルワリーで、ファントムブルワリーであることが最大の特徴だ。
自前の設備が無いのに、どうやってビールをつくるのか。つくりたいビールのレシピを他社のブルワリーに渡して製造を委託、つまり委託醸造するのである。もちろん、委託先で自分が醸造作業をする場合もあるし、銘柄ごとに委託先を変えることもできる。そうした自由な様子を指して、ファントム(幽霊)と呼ばれている。
ではミッケラーはどのように、ファントムの道を選んだのか。ブルワリーの成り立ちから振り返ってみる。
ミッケラーの創業者のミッケル・ボルグ氏はコペンハーゲン出身。ビールづくりを本業とする前は、2002年からギムナジウム(大学入学を目指すための学費無料の中等学校)で数学、物理学、英語の教師をしていた。ある日、デンマークの小規模ブルワリーがつくったビールをたまたま見かけて飲んでみたところ、それまでにない味わい深さと複雑さがあり、魅了されてしまった。
もともとビール好きなので、どうせたくさんのビールを飲むのなら、自分でビールをつくったらお金の節約になる。そう思って友人のクリスチャン・ケラー氏と自宅でビールをつくり始めた。麦芽の代わりにシロップを使う方法を採っていたこともあり、最初の6、7回はひどい味のビールしかつくれなかった。そこで米国で出版されたビール醸造の本を取り寄せて勉強すると同時に、前述の素晴らしいビールを造ったデンマークのブルワーに連絡を取ってビールのつくり方の一部を教えてもらった。
そのビールをまねしてつくったところ、友人たちや国内のビール審査会で好評だったことから、ビールづくりを本格的にビジネスにすることを決意。ミッケルとケラーという名前を合わせてミッケラーと名付けた。2005年にはミッケルの双子の弟がコペンハーゲンにクラフトビールの販売店を開いて一般販売も始めた。
ビールイベントに出展しようと考えたが、当時の製造規模ではイベントに必要なビールの量を賄うことができなかった。そこで、同じデンマークの小規模ブルワリーに製造を委託することにした。これがミッケラーの委託醸造の始まりだ。
フェスティバルに出展すると、そこで会った米国の輸入代理店との交渉がうまくいき、取引契約を締結できた。そこでまた、製造量を増やす必要が出たが、自前のブルワリーを持ちたいとは思わなかった。「そのために大金を借りたら、いかにも市場で売れそうなビールをつくってたくさん売るのに専念しなければならなくなる」からだと、ミッケルは自らの著書『BOOK OF BEER』で述べている。
その後、需要が拡大するにつれて委託先をデンマークのほかのブルワリー、さらにベルギーのブルワリーと変えていった。現在ではノルウェーや米国でも製造され、約40カ国・地域に輸出されている。公式バーや直営のラーメン店などの拠点は世界に40以上もある。
米国のスティルウォーターアーティザナルも有名なファントムブルワリーの1つで、前述のミッケラービアセレブレーション東京でも提供された。2010年、ボルチモア出身で国際的に有名なDJであったブライアン・ストムルケ氏が立ち上げた。独創的で評価の高いビールを出し続け、2015年には50の銘柄を製造、製造地は12カ国にわたった。製品は現在、日本を含む40カ国以上で流通している。
ミッケラーにもスティルウォーターにも共通するのは、自前の設備維持という制約なしに、自分たちがつくりたい様々なビールをどんどんつくれることだ。
日本でも、委託醸造からビールビジネスを始め、しばらく後に自前の醸造設備を持つに至ったブルワリーがある。山梨県小菅村にブルワリーを持つ、Far Yeast Brewing(ファーイーストブルーイング)だ。
同社の山田司朗社長は2005年から、英国のケンブリッジ大学大学院経営学修士課程で学んでいるうちに、現地のクラフトビールのおいしさに目覚めた。修了後に帰国すると、自らクラフトビールをつくるビジネスを立ち上げることを志した。
まず調べてみると、自前の設備を持つにはとてつもない資金が必要で、さらには設備を実際に購入・設置しないとビールを製造するための免許を取得できない、という壁に当たった。そこでまず、英国時代に見聞きした契約醸造(委託醸造)でビールを製造・販売し、資金をためてから自前のブルワリーを持つことにした。しかし、委託先を日本で探し始めても、当時は受け入れ先は少なく、質の面でも満足できるところがなかったのだ。
そこで海外に目を向けた。同社取締役の山田睦氏のつてで、ベルギーのデグラール醸造所と契約を締結した。国内で委託するより輸送コストがかかるが、つくりたいものをつくることと、品質を優先させた。さらに、ヨーロッパの販路開拓という面でもプラスに働いた。
こうして2012年にでき上がったブランドがKAGUAで、サンショウやユズなど和の原料を生かしたビールを展開している。現在は16カ国に輸出しており、特に日本食レストランやホテルなど、じっくり味わう雰囲気があるところを中心に受け入れられている。
2014年には新ブランドで現在の社名にもなっているFar Yeastを投入。今度は静岡県御殿場市のDHCビールに製造を委託した。こちらも、インターナショナルビアカップといったビール審査会で受賞を重ねるなど好評を博している。
そして2017年6月に小菅村にブルワリーを立ち上げ、製造を開始。以来、Far Yeastブランドはすべて自前で生産している。
「契約醸造から始めたおかげで、自前のブルワリーを持つまで段階的に成長していくことができたと思っています。世界的に有名なビールブランドの中には、主力銘柄は他社の大きなブルワリーで委託醸造して、自前の設備では実験的なビールをつくるという使い分けをしているところもあります」(山田社長)
ファントムブルワリーや委託醸造というあり方は1つの会社で製造から販売、さらには提供まで手掛ける「顔が見えるものづくり」のイメージに合わない面があるかもしれない。しかし、小規模のビジネスでも成長しやすく、消費者にとっては様々な特徴を持つビールを楽しめるようになるメリットがある。それがファントムの強みと言える。
(熊谷勇一)
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