元プロ野球選手・鈴木尚広さん 基礎が大事と父の教え
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元プロ野球選手の鈴木尚広さんだ。
――お父さんに野球を教わったと聞きました。
「父は高校球児でした。甲子園には出られず、プロにも進めなかったんですが、とても野球に情熱を注いでいたそうです。長男である僕に自分の意志を継がせようと思っていたのかもしれませんね。小学生の時から周囲に『異色の親子』と言われるくらい熱心に指導を受けました」
――心に残っている教えはありますか。
「基礎が何よりも大事ということですね。地味な練習の積み重ねが大きな成長につながると教わりました。実家は焼肉店なのですが、両親は30年以上、ほぼ一日も休まず営業しています。そういった積み重ねで地元の方々に愛されるお店になった。そんな父からの言葉なのでとても説得力がありました」
――1996年に巨人からドラフト指名を受けました。
「父は感情を表に出すことが少ないのですが、母は泣いて喜んだ後、とてもさみしそうでした。プロ野球という厳しい世界に息子を送る不安や、たくさんの人の前でプレーする僕が自分だけの息子ではなくなるような感覚だったんだと思います」
――プロ入り直後はけがとの戦いが続きましたね。
「自分の力を出せないのが本当に悔しかった。22、23歳のころ、父が白球を届けてくれたんです。父の字で『得意の時は戒心 失意のときこそ発奮』と書かれていました。会話が少なくても僕のことを一番に理解してくれる。『今は調子が悪くてもプラスに転じられるよう頑張ろう』と思えました。それから自分の武器である足を磨き上げるようになりました」
――その後は代走のスペシャリストとして力をつけ、オールスターにも出場した。
「両親はその日だけは店を閉めて応援に来てくれました。それだけでもうれしかった。試合で僕が盗塁を決めて両親のいるスタンドを見ると、母が立ち上がって喜んでいた。昔から僕の打席や走塁は『緊張と不安で目をそむけてしまう』と言っていたので『やっと見てくれた。母さんも成長したな』と思いました」
――その翌年に引退。相談はされたんですか。
「母は『もう試合を見なくていい。安心して眠れる』と。父は『もう1年くらいできるんじゃないか』と言っていました。ただ、自分の中で心は決まっていたので悔いなく現役生活を終えられました」
――今後の活動は。
「今は球団などに所属せず、外から野球を勉強していますが、いずれはコーチとしてグラウンドに戻りたいですね。お世話になった球団に恩返しをしたいという気持ちもあります。伝えたいのは技術よりメンタル面。『基礎と積み重ねが何よりも大事』という父からの教えを若い選手に伝えていきたいですね」
[日本経済新聞夕刊2018年10月2日付]
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