インフル予防接種促すには 行動経済学がヒントに
冬に向かうこれから、インフルエンザが流行しやすい季節です。近年、重症化の可能性が高い高齢者の間で予防接種を受ける人の割合が伸び悩んでいます。多くの自治体で毎年10月から取り組みが始まりますが、接種を促す方法はあるでしょうか。
インフル予防は流行前のワクチン接種が有効とされています。厚生労働省が公表した、高齢者の接種の有効性を調べる国内を対象とした研究では、死亡率を80%程度下げる効果が確認されています。政府は主に65歳以上に接種費用を補助する制度を設けています。各自治体で補助内容は異なりますが、東京都文京区なら通常は5千円程度かかる接種費用を高齢者は半額で済ますことができます。
このうち、どれくらいの人が接種を受けたのでしょうか。厚労省の推計では、2016年度に制度を通じて受けた人は約50%でした。制度が始まった01年度の約28%より上がったものの、近年は横ばいが続いています。接種は、発熱などの副作用が起きる可能性があるため、義務化は難しいのが実情です。
米ペンシルベニア大のキャサリン・ミルクマン教授らは行動経済学に基づき、接種の「お知らせ」に着目した実験をしました。ある企業の従業員約3千人に「実施日のみ」と、「自分が接種したい日時を書き込む欄」も加えた2種類の紙を配りました。すると書き込み欄のある紙を配られた人の接種率は約37%と、実施日のみを配られた人より約4ポイント高くなったのです。
行動経済学に詳しい大阪大の大竹文雄教授は実験について「自分で予定を書くことで、守ろうとする効果が生まれた」と説明します。半面、大竹氏は「この方法はそもそも接種を考えていない人には効果がない」とも話しています。
慶応大の井深陽子准教授らは、高齢者と同居する人の接種率がほかの人より9ポイント程度高くなると推計しました。接種に補助が出る高齢者は、接種率が一般成人の2倍程度といわれています。井深氏の調査は「身近に接種した人がいる人は自分も接種する」可能性があることを示唆しています。
高齢者と同居する世帯の場合、高齢者の重症化を避けたい心理が働いているとみられるとはいえ、人は身近な人の行動を目の当たりにするとまねしたくなるものです。自治体単位でも「接種は身近のたくさんの人が受けていますよ」という情報発信をすれば、行動を促すことができるかもしれません。
こうした行動経済学の知見を生かした方法にはあまりお金がかかりません。インフルをはじめ感染症の予防に向けて試してみる価値がありそうです。
大竹文雄・大阪大教授「文化によって異なるメッセージの効果」
医療への行動経済学の活用について、大阪大の大竹文雄教授に研究の動向や実際の課題を聞きました。
――いつごろから研究が盛んになりましたか。
「盛んになったのは比較的最近で、2010年以降の論文が多い。経済学者だけなく、医学系の人たちが行動経済学を活用する研究を進めている。海外での研究が中心で、日本ではまだ少ない」
――例えばどんな研究がありますか。
「肥満を減らすための研究は多く、いろいろな実験がある。運動や体重の情報を医師に送ると改善案が返ってきたり、運動しなかったらお金を取られたりといったことの効果を確かめる。肥満のような生活習慣病を減らすためには行動経済学のアプローチが有効ではないかと考えられている」
「最近は患者側だけでなく、医師側の行動を変えることも研究テーマになっている。ひとつ例をあげると、抗生物質の過剰投与をどう減らすかという研究がある。ウイルス性の風邪に抗生物質は効かないとされるが、多くの医師が投与してしまう傾向がある。いくつかの実験で、標準的にはこれくらいしか抗生物質を投与しないという情報を医師に与えると、使用量を減らすことが分かっている」
――日本での応用はどうすればいいですか。
「どういうメッセージを送ると効果があるのかは文化によって違う。みんなやっていますよ、というメッセージが日本人に効くかはやってみないとわからない。日本は集団主義だと言われるが、意外に利己的だという研究もある。米国で効果のあるメッセージだったとしても、和訳をしたら日本語として不自然になることもあるかもしれない」
「どこの国でも効くと考えられるのが、デフォルト(初期設定)を変える方法だ。人間は面倒なことを嫌うので、変えられた初期設定に従う傾向がある。日本でも効果のある方法だろう」
(久保田昌幸)
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