「今の僕があるのは大島監督のおかげです。葬儀で弔辞を読んだのも、親族やマネジャーなどの『身内』を除けば、大島監督だけ。役者として初めて映画に出演し、音楽も担当させてもらった『戦場のメリークリスマス』で僕の人生はすっかり変わりました」

大島監督は吉本隆明さんとともに坂本さんにとってのヒーローだったという

――大島作品で特に好きなのは何ですか。

「どれも好きですが、1967年公開の『日本春歌考』は鮮烈でしたね。高校の時に映画館で見たのを覚えています。黒い日の丸が出てきたりして、衝撃を受けました。話の内容は難解でしたが、とにかく過激で面白かった。夢中になって何度も繰り返し見ました。それ以来、大島監督は僕にとってのヒーローになった。当時、大人はすべて敵だと思っていましたが、大島監督と評論家の吉本隆明さんだけは例外。この2人は僕が憧れる『格好いい大人』でした」

『戦メリ』の配役、R・レッドフォードや緒形拳を予定

――『戦場のメリークリスマス』(1983年公開)はどういう経緯でオファーされたんですか。

1983年5月、「戦場のメリークリスマス」を出品したカンヌ国際映画祭で(右端が本人。その隣が大島渚監督、左端がデビッド・ボウイ)

「配役はもともとロバート・レッドフォードや緒形拳さんを考えていたようです。でも、実現できないので、何度も変更しているうちに僕の名前が浮上したらしい。僕のほかにも、デビッド・ボウイやビートたけしさんらも出演するとスポーツ新聞が報じていたので、『本当かな』と半信半疑でいたら、突然、大島監督から『会いたい』と連絡が入り、僕の事務所で会うことになったんです」

「大島監督は会うなり、単刀直入に『僕の映画に出てください』と切り出されました。僕にとっては憧れのヒーローですから、そのオファーを断るなんてこと、できるはずがありません。でも、せっかくの機会なので、得意分野の音楽で勝負したいと思い、不遜ですが『音楽を任せてもらえるなら出演します』と条件をつけたら、『はい、分かりました。音楽もお願いします』と即答されたのでビックリしました。その間、わずか2分ほどのやり取りですが、決して忘れられない思い出です」

セリフを覚えることも知らず、曲作りは手探りで

――役作りや曲作りはどうしたんですか。

「役作りなんてまったく考えていませんでしたよ。何度かCMに出たくらいで、セリフを覚えなきゃいけないことさえ知らなかったので、本番ではかなり焦りました。カンペも出ませんでしたから……。英語の長いセリフがあるし、もう汗だくになって、セリフを必死で覚えました。たけしさんと『僕らは素人だから、演技について監督が怒ったら、すぐに帰らせてもらいます』と事前に伝えていたので、大島監督は僕らを怒ることができなかったようです。おかげで撮影はNGもなく、ほとんどワンテークで済みました」

「映画音楽作りについては、プロデューサーのジェレミー・トーマスに相談すると『市民ケーン』を参考にしなさいと言われました。でも、ビデオを見てもあまり好きになれず、自分なりに手探りで音楽を作りました。『戦メリ』は1983年のカンヌ国際映画祭にも出品され、その会場で大島監督からベルナルド・ベルトルッチ監督を紹介してもらいます。それが縁で『ラストエンペラー』に出演し、音楽も担当することになるのですが、そんな運命が待っているとは夢にも思っていませんでした」

(インタビューの続編を10月5日に掲載します)

エンタメ!連載記事一覧