一連のイベントのトリは東京芸術劇場でのオペラ「ソラリス」日本初演だ。「僕は歌が大好き。ストーリー性のある音楽も合っている。だからオペラを作る」。「ソラリス」はポーランドの作家スタニスワフ・レム氏のSF小説「ソラリス」を題材にしたオペラだ。「この小説が大好きで、英訳本を読みふけってきた。ソラリスを題材にした器楽曲も書いたことがある」と話す。
■23世紀に古典として残るオペラ「ソラリス」
藤倉氏はアンドレイ・タルコフスキー氏の有名な映画「惑星ソラリス」ではなく、あくまでレム氏の原作に触発された。日本語版では沼野充義氏がポーランド語原典から直接翻訳した「ソラリス」(ハヤカワ文庫)がある。オペラを聴く前に原作を読み、作曲家の創作ヒントを追体験しておきたい。
小説「ソラリス」は、意思を持つ海に覆われた惑星ソラリスを探査する人間の異常な体験を描いている。人間には海のように巨大な生命体に見えるだけで、本当は何なのか分からない。人間の理性を超えた絶対他者との遭遇という存在論的テーマを持つ。言葉で表現できず、意思疎通も不可能なのは、ヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」の最後の命題「語り得ないことについて人間は沈黙するほかない」を地で行く全き他者だ。
レム氏は原作を人間のノスタルジーの物語に還元したタルコフスキー氏の映画に不満を持っていたという。レム氏はこの小説で絶対他者としてのソラリスの海を通じて、万物を人間的なものに擬態化するアントロポモルフィズム(人間形態主義)と理性のおごりを批判したといわれる。そこで藤倉氏がオペラで考えた編成は「十数人の器楽アンサンブルと、それと同程度のパワーのエレクトロニクス」を対峙させることだった。
「器楽奏者(人間)のエネルギーをリアルタイムで加工するエレクトロニクスが必要だ。普通のオーケストラが演奏したら地球上ではない感じにならない。地球で行われないことがあそこ(ソラリス)で起きるわけだから」。日本初演は佐藤紀雄氏の指揮によるアンサンブル・ノマドの器楽演奏に、永見竜生氏が担当するエレクトロニクスを対峙させる。ハリー役はソプラノの三宅理恵氏、ケルヴィン役はバリトンのサイモン・ベイリー氏。振付のない演奏会形式だが「音楽だけでも十分伝わる」と期待する。
現代の作曲家には珍しいほどオペラの創作意欲が旺盛だ。2015年にフランスのパリで「ソラリス」を世界初演したのに続き、18年3月にはスイスのバーゼルでエドガー・アラン・ポーの怪奇小説に基づく子供向けオペラ「黄金虫」も世界初演された。今は「僕の親友の詩人と協力して3作目のオペラを作曲中」と言う。
「『ソラリス』は23世紀に古典として間違いなく残っているオペラ」と東京芸術劇場の企画担当者は自信たっぷりに断言した。ソラリスの海のように人知を超えた全く新しい響きを探究し続ける藤倉氏。前衛なのに聴き手の耳には潮騒のような親しみを持って届く。現代音楽がワクワクする楽しみを新たに発信し始めている。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)