うまいに決まってる 静岡キンメダイ、煮えた割り下へ
ふるさと 食の横道(6) 駿河湾編
海の上から富士山を見たいと思っていた。かすかに雪を掃いた山頂。その辺りをそよぐ雲。天を三角に切り裂いたような姿を、遮るもののない所から見たいと思っていた。それも晩秋から初冬にかけてだ。空の青と海の青が淡く溶け合う季節だからだ。
地図を見ていたら格好のルートがあった。清水港と伊豆半島西岸の土肥(とい)港を結ぶフェリー航路がある。洋上の旅は1時間10分。天気さえ良ければ航海中、ずっと富士山が見える。西伊豆に着いたら黄金の夕日を眺めることができるだろう。行くべし。
2015年11月の末、東京から新幹線で静岡に向かった。そこから車で清水港へ。港には「清水魚市場 河岸の市」がある。魚介の仲卸業者の店が立ち並び、飲食施設も充実している。フェリーの出航時間まで、ここで過ごすことにした。
主役はマグロだけれど、それについて書いても仕方がない。脇役に面白いものが多い。例えば「海つぼ」という巻き貝を売っている。静岡ではこう呼ばれるが、バイ貝のことだ。北陸ではおでんに入れる。この辺りでは煮て食べるらしい。
「イルカのたれ」もあった。イルカの肉を醤油漬けして乾燥したもの。昔は盛んに食べられたイルカだが、最近の若い人はなかなか口にしない。以前、ここを訪れたときは何軒かの店で扱っていたが、1軒だけになっていた。
同じく「イルカのすまし」。イルカのひれを薄く切ったもので、近くの蒲原では「蒲原ゴム」と呼ぶ。ゴムのような歯応えがあるためだ。
そして「黒はんぺん」の存在感が圧倒的だ。魚を身だけではなく、骨や皮ごとすりつぶして蒸したもので、静岡の食卓に欠かせない一品だ。そのまま食べる。焼いて食べる。フライにして食べる。何しろ1枚30円ほどなので、1袋買えば立派な1皿になる。
荷物を預かってもらっていた市場の事務所での会話。
「黒はんぺんのフライにはソースですか? 醤油ですか?」
「私は醤油」
「うちではみんな醤油なんだけど、夫だけはソース」
どっちもうまい。
フェリーが出航する時間が近づいてきた。フェリーの甲板で富士山を見ながら食べようと思って寿司を買ってタクシーに乗り込んだ。
「フェリー乗り場まで」
「お客さん、きょうは強風でフェリーは動いていませんよ」
「えっ」
取りあえず、乗り場に行くと「全便欠航」の看板が出ている。全便だから、待ってもフェリーは出ない。どうしよう。
静岡駅に引き返し、三島に出る。三島から伊豆箱根鉄道で修善寺。そこから西伊豆町に行くしかない。そして当初の計画とは反対にあした土肥から清水に戻るときに洋上から富士山を狙う。それしかない。
ということで朝来た道をとって返し、修善寺を目指した。フェリーで食べるはずだったお寿司は伊豆箱根鉄道の車中で胃袋に収まった。
今度の旅のナビゲートは西伊豆町田子で老舗かつお節店を営む芹沢安久さんにお願いしている。ルート変更を告げ、修善寺への迎えを頼む電話を入れた。西伊豆から修善寺は山を挟んで相当の距離がある。「少し待ってもらうかもしれません」という返事。
この時点で2つの不安があった。駿河湾に沈む夕日に間に合うのか。あしたの帰路、駿河湾は富士山が見える程度に晴れてくれるのか。どちらもだめなら、この旅の目的はついえる。
修善寺の駅で30分ほど待つと、芹沢さんが現れた。ゆっくりお茶を飲む暇もなく、西伊豆の海岸を目指して車を走らせる。この時期の日は短い。あっという間に暗くなるのだ。ああ、もう少し日が陰ってきた。夕日に間に合うか。
ハンドルを握る芹沢さんが言った。
「恋人岬など夕日の名所はいくつもありますが、今日は一番近い土肥温泉に向かいます」
暮れなずむ中、車は土肥温泉の外れにある松林の前で止まった。カメラマンのキッチンミノルさんがカメラを抱いて海岸線に向かう。
間に合った。ちょうどそのとき、オレンジ色の太陽が曖昧な火の塊になって灰色の水平線に溶け落ちようとしていた。強風にあおられた三角波が騒ぎ、雲がせかされるように流れていく。太陽は輪郭を様々に変化させながらみるみるうちに沈んでいく。
やがて辺りは宵闇に包まれた。胸をなで下ろして今夜の宿がある堂ケ島温泉に向かう。後は温泉につかって伊豆の海の幸を楽しむだけだ。
晩ご飯は松崎町の「味正(あじまさ)」。ここには以前、来たことがある。漁師町の夜は早い。遅くまでやっている飲食店は限られていて、この店はその一つだ。
税込み3500円の伊豆御膳を注文した。「戸田(へだ)の本えび」が入った天ぷら、キンメダイのかぶと煮、サザエのつぼ焼き、アジ・カンパチ・サバの刺し身、地魚の寿司、茶わん蒸し、カニの味噌汁、デザートである。
地方都市に来るといつも思う。「どうしてこんなに新鮮で安いのだろう」と。いや東京の外食事情が悪すぎるだけか。
メニューに「金目鯛のひきずり寿司」というのがあった。煮えた割り下にキンメダイの切り身を入れ、引きずるように取りだしてしゃり玉にのせる。うまいに決まっている。
この料理にはモデルがある。かつて西伊豆がカツオ漁でにぎわっていたころ、有り余るカツオを割り下で軽く煮る「ひきずり」という漁師料理があった。芹沢さんも食べていたという。
「カツオが買うものでなく、もらうものだった時代がありました。ひきずりはそんなころの料理です。野菜とかは入れません。カツオの切り身だけ。それでご飯を食べるのですが、割り下の甘辛い味がご飯にあって……」
カツオが洋上で冷凍され冷凍倉庫がある焼津などに運ばれるようになるまで、西伊豆はカツオの一本釣りでにぎわった。漁は廃れたが、西伊豆とカツオの関わりはいまも深い。あしたの朝、それを見に行くことになっている。
旅館で目覚めて外を見ると文句なしの快晴だった。このままなら帰途、駿河湾から富士山を眺めることができるだろう。朝食を済ませて芹沢さんの作業場兼店舗の「カネサ鰹節商店」に向かった。明治15(1882)年創業で、芹沢さんは5代目だ。
かつお節はカツオを3枚に下ろして縦に割り、ゆでて干す。この「荒節」の段階で削ったものを「花かつお」と呼ぶ。荒節にカビをつけ、何度も乾燥を繰り返してできるのが「本枯れ」で、削ると「削り節」になる。一般消費者にはあまり知られていないのだが、実は厳然とした区別があるのだ。
カネサ独特の工程に「手火山式焙乾(ばいかん)製法」というのがある。深さ2メートルのコンクリート製の穴にカツオを重ね入れ、下から地元で取れたクヌギなどを燃やして乾燥させる。炎で表面は少し焦げる半面、うま味が中に凝縮される。手間がかかるし、加減を見るのも難しい。機械乾燥が主流になったいまも、芹沢さんは明治から家に伝わるこの製法をやめようとしない。
訪れたとき、ちょうど「潮(塩)カツオ」の製造が真っ盛りだった。カツオの塩蔵品で古い保存法だ。かつてカツオ漁の網元は正月に神様に一度奉納した潮カツオを漁師に配った。それが1年の契約の証しとなった。神様が介在するゆえに、カツオ漁が廃れてもこの習俗は奇跡的に残り、西伊豆、中でも芹沢さんが生まれ育った田子地区では、いまでも正月に潮カツオを飾る。カネサはいまに残る数少ない生産者で「年内に500本、年明けにも200本つくります」。いい話を聞かせてもらった。
我が家には潮カツオの粉末がある。お茶漬けにしたり、おひたしにちょっと振りかけたりしている。実にうまい。
さて、富士山を見に行こう。芹沢さんに土肥まで送ってもらい、駿河湾フェリー「富士」に乗船した。全長83メートル、総トン数1554トンで見上げる大きさだ。土肥と清水を結ぶ航路は県道223(ふじさん)号になっている。
土肥を出るとすぐに富士山が岬の向こうから威容を現した。「おおーっ」と声が出る。フェリーが進むにつれて富士山は微妙に角度を変え、海、山体、空とブルーのグラデーションが息を飲むほど美しい。キッチンさんは最上階のデッキに上がってカメラをのぞいたままで、一度も船室に入らない。ほかの乗船客もスマホのカメラを向けてはしゃいでいる。 富士山が見えるところは多いが、こんな景色はやはり海からしか望めない。
夕日に間に合った。潮カツオをつくる場面も見ることができた。そしてこの富士山。どうなることかと思ったが、無事に旅を終えることができた。次はどこに行こうか。
文=野瀬泰申 写真=キッチンミノル
*価格は取材当時のものです
[日経回廊 2016年2月発行号の記事を再構成]
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