私は「交通費くらいはぜひ出してください」と強硬に主張しました。ボランティアはアルバイトを雇うわけじゃないのだから、彼らをモチベートさせる、どちらかというと彼らがお客さんくらいの感覚で運営しないといけない。ちょっとした心遣い、たとえばいい食事を提供してくれると、それだけで「ああ、大事にしてもらっているんだな」という気になるんです。

「有償か無償かは意味がない」と語る西川千春氏

自分が自由になる時間はものすごく貴重です。日本は時間に対する価値があまりに低すぎる。それを自ら削って公共のために差し出している人に対するリスペクトが、まずなければいけません。ですからボランティアに自分から手を挙げて来てくれる人に対しては、まず感謝なんです。

本間 いろいろ話をしていると、西川さんも言うべきことはきちんと言っていただいている。ボランティアの考えを、僕は全然否定しません。僕はボランティアが悪いといっているのではなくて、東京五輪の組織委や国を含めたシステムが悪くて、それに乗っかるのはいかがなものかという話なんです。西川さん、ボランティアは有償では駄目なんですか。

西川 有償にしてもいいと思いますが、さっきもいったように我々にとって有償、無償かは意味ないんです。というのはお金が目的じゃないから。自分から手を挙げているボランティアというのは、やりたくてやっているので、一番違うのは笑顔なんです。とにかくユニホームに腕を通したとたん、もうニコニコしちゃうんですね。

そういう非常に士気の高いボランティアが搾取の構造になっちゃうのかもしれませんが、(いい笑顔があることで)大会の印象ががらっと変わるんです。ボランティアがハッピーで運営側もハッピーだったら、世の中きれいごとばっかりじゃないから、よしとしたいなという気がします。

レガシーとして無償固定化の恐れ

本間 ジャカルタで開かれたアジア競技大会では、お金をちゃんと出していたと聞きます。

西川 アジア大会はちょっと別なんです。なぜかというと、ボランティアは成熟していて、経済がそれなりの基準に達した国・地域がベースになっています。イギリス、オーストラリア、カナダ、米国といった国々です。一方、開発途上の国・地域にはボランティアの考え方がありません。

あと所得格差があまりに大きすぎる国。ブラジルのリオ五輪では、大会ボランティアはすべて無償でしたが、(観光案内などをする)都市ボランティアは(有償の)バイトでした。所得格差の問題があって、本当に貧しい人を助ける意味もありました。大会ボランティアをしているブラジル人は中産階級から上で、どちらかというと白い顔。都市ボランティアは一般市民の貧しい人を雇っていたから、黒人が多かったですね。

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責任者が腕まくりして発言すべき