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「ピアニート公爵」森下唯 アルカンの超難曲に挑む

2018/9/22

「ピアニート公爵」名義のインターネット音楽投稿でも知られるピアニスト森下唯(ゆい)氏が、とてつもない超難曲を弾き続けている。フランスの作曲家シャルル・ヴァランタン・アルカン(1813~88年)のピアノ曲群で、この作曲家の作品を集めた通算4枚目のCDを11月に出す。最高難度の超絶技巧を要するといわれる曲の数々になぜ挑むのか。自称「ニート」系のピアニストが、長年埋もれていた作曲家への思いと魅力を語る。

アルカンはまだ一般に知られていない作曲家だ。19世紀前半、ショパンやリストがパリでピアニスト兼作曲家として活躍した時代に、彼らに匹敵するほどの評価と名声を得ていた。ピアニストとしてはリストと並ぶ19世紀最高のヴィルトゥオーゾ(名手)だったといわれる。アルカンが作曲したピアノ曲も、彼の演奏技術を反映して難易度の高いものがそろっている。「もちろん自作の難曲も弾いていたわけだから、非常に弾けたピアニストだったと思う」と森下氏は推測する。

教授になれず失意のまま引きこもりの後半生

パリのユダヤ人家庭に生まれたアルカンは、自宅が音楽予備校だったこともあり、幼少時から英才教育を受け、10代前半でピアニストとしてデビューし、作曲も手がけた。ショパンやリストと親交を結び、神童ぶりを発揮したという。

脚光を浴びていたにもかかわらず、アルカンが時代から忘れられ、長く埋もれていったのはなぜか。「アルカンは後半生、ほぼ引きこもりの生活を送った」と森下氏は説明し始めた。転機はショパンが死ぬ前年の1848年。「彼はパリ音楽院のピアノ科教授になれず、大きな挫折を味わった」と森下氏は彼が引きこもりになった原因を説明する。

自他ともに認める才能と華々しい実績によってアルカンがフランス音楽の最高学府パリ音楽院のピアノ科教授になるのは当然と思われた。しかしアルカンのかつての弟子マルモンテルが同音楽院の学長に取り入ってそのポストを射止めてしまった。いつの世の組織でも突出した才能には非実力派の妬みと保身が働く。その後、彼は失意のまま88年まで40年も生きたが、「世に打って出る感じの人ではなくなった」と言う。

森下氏はアルカンに関する様々な文献を研究している。「引きこもりの頃にアルカンが書いた手紙の中には、うつ病を明らかに感じさせる場面も出てくる」。もともと非社交的な人だったようだが、ピアノ科教授のポストを逃してからはいよいよ隠遁(いんとん)生活となった。

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