タレント・野沢直子さん 「手に職の時代」が父の教え
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントの野沢直子さんだ。
――どんなお父さん。
「競馬の予想屋で、結婚は私の母親を含め4回ほどしていて、私が11歳の時は失踪もし。そんなお父さんです。土日は家に帰ってこないことが多くて、年末年始はほぼいない。表向き、競馬関係の仕事だから、ということになっていましたが、実際は別宅に行っていました。母との間以外に、妹と弟が1人ずついます」
「私が物心ついてから中学に入る頃までは、事業を起こしては借金を背負う、の繰り返し。朝鮮ニンジンの顆粒(かりゅう)を発明したという時も全く当たらず、家族で苦くてまずい売れ残りを飲まされ続けたこともあります。私が中学を卒業する頃、競馬の予想を伝える会員制の仕組みが当たったとかで、大きな一軒家に引っ越しました」
――笑えるエピソードも?
「私が結婚後、父の会社の社員旅行でラスベガスに一家で呼ばれた時のこと。これで遊べと10万円くれたのですが、翌朝『1万円返してくれないか』と。聞けば前の晩、カジノで1000万円負けたとか。私は家のローン3千万円を組んでおり、驚きました。父のすごいところは1万円でほとんどを取り返してきたところ。一緒にいれば面白いんです」
「『最近の日本のテレビはAKBばかり出てるぞ。直子がテレビに出られなくなっちゃうぞ』とすごく心配してくれたこともあって。私と全く競合していないことを、どう説明していいか困りました」
――学んだことは。
「小学生の時に『女もこれからは結婚だけじゃない、手に職だ』と言われました。当時は何を言っているか分かりませんでしたが、経済的に自立しないと変な男につかまったときに離婚できないぞ、と。事業に失敗しても諦めない姿勢を見せるところも、実はすごい教育だったのかな。家族は迷惑でしたけどね」
――子育てへの影響は。
「好きなことを見つけ、一生の仕事にするのが一番の幸せだと学んだので、子供にも言い聞かせています。異母妹も『子供には好きなことを見つけてほしい』と言っており、父から同じことが伝わったんじゃないでしょうか」
――3年前に亡くなった。
「最後までけんかばかり。感謝の気持ちを持てたのは死ぬ3カ月ぐらい前、入院して弱っている姿を見てからですかね。死ぬとは思わず、弟と退院後の計画も話して帰米したら、3週間ぐらい後に容体が急変。最期はビデオ通話で呼び掛けました」
「看護師の夫が『うちの病院は笑いながらおくるんだ』と言うので、ラスベガスのこととか、弟と面白かった話をむりやりして。最後に『ありがとう。手に職と言ってもらえたから、幸せな人生です』と言えました。うなずいたように見えました。聞こえていたと信じたいですね」
[日本経済新聞夕刊2018年9月11日付]
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