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西郷どんも食べた? 奄美大島の「鶏飯」と「鶏飯丼」

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NIKKEI STYLE

奄美大島は今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の舞台に取り上げられ、世界自然文化遺産への登録を目指していることもあって注目を浴びている。格安航空会社(LCC)の便が就航して観光客が増え続け、奄美大島、徳之島、沖永良部島、加計呂麻島、喜界島、与論島(いずれも鹿児島県)などから成る奄美群島は2017年、年間の来訪者が60万人を超えた。そして奄美大島を訪れた人が一度は食べるのでは、と思われるのが鶏飯(けいはん)だ。

鶏飯は簡単に言えば鶏茶漬けだ。割いた鶏肉、錦糸卵、シイタケ、パパイアの漬物、紅ショウガ、粉末にしたかんきつ類の皮などの具材を白米の上に載せ、鶏をゆでた汁を淡口しょうゆなどで味を調えたスープをかけて食べる料理だ。2007年に農林水産省が選定した郷土料理百選で、山形の芋煮に次いで第2位に輝いている。

奄美大島を取り上げた観光ガイドブックでは、鶏飯は土地を代表する料理として筆頭に大きく取り上げられることがほとんどだ。しかし、その成り立ちや発展の経過には、よく分かっていないことが多い。

今村規子著『名越左源太の見た幕末奄美の食と菓子』によれば、奄美大島の鶏飯について触れている最も古い文献は1850年に薩摩藩の内紛によって奄美大島に遠島となった名越左源太が記した『大島遠島録』だ。名越が「飯は鶏の汁で、入具は木瓜(きゅうり)、牛蒡(ごぼう)」などの料理で歓待を受けたという記述がある。

しかし、鶏飯という名の料理は『合類日用料理抄』(1689年)を最古に、江戸時代に出た多くの料理書に載っている。『名越左源太の見た幕末奄美の食と菓子』によればこの「鶏飯」は「けいはん」ではなく「にわとりめし」と読み、鶏のゆで汁を使った炊き込みご飯と推定されている。これが次第に現在の鶏飯に近い形になったと考えられる。

「琉球には菜飯(セーファン)と呼ばれる鶏飯に似た宮廷料理があり、これが奄美の鶏飯の起源では」と話すのは、駒澤大学文学部地理学科の須山聡教授だ。須山教授はこれまで、奄美大島で学生と共にフィールドワークを続け、『奄美大島の地域性』という書籍などに成果をまとめている。

「奄美でごちそうと言えばまず豚ですが、支配する側の薩摩藩では実は意外と食べられていなかった。だから、徴税する側の役人においしいものを食べさせて満足させ、税を少しでも重くならないようにしたかったのですが、食べ慣れなくて箸が進まなかった。そこで豚を鶏に置き換えたところ、よく食べてもらえるようになったのでは」(須山教授)

もともとは鶏の炊き込みご飯であり、それがどうして汁かけになったのかは詳しく分かっていないが、戦前には確立した。そして1946年に旅館として開業した「みなとや」では最初から汁かけの形式で提供されていたという。

このみなとやの店先には、「鶏飯元祖の由来」という石版が設置してある。1968年に現在の天皇・皇后両陛下が奄美大島に来訪してみなとやの鶏飯を召し上がった、と刻まれている。

みなとやは奄美大島北部の赤木名(あかぎな)にある。古い港町で江戸時代に薩摩藩の代官所の一つが置かれた。奄美はかつて琉球王国の統治下にあったが、1609年に薩摩藩領となった。薩摩藩の役人を供応する機会が定期的にあり、そこで鶏飯も提供され、汁かけの鶏飯が生まれる背景にもなったと思われる。

みなとやは鶏飯を提供する現存する店で最も古い、と言われ、大変な人気だ。筆者が訪問した際は観光シーズンということもあって数十分待ちだった。

みなとやの鶏飯の特徴は一言で言えば、濃厚。掛けて食べるスープには油が浮いて、冷めると白く凝固してくるほど。口に含むとうま味と厚みがふんだんに感じられて、満足感が得られる。鶏からだしを取る際に骨は砕き、髄までしみ出るようにしているという。鶏肉はゆでて割いてからいったん乾燥させているが、濃厚なスープをかけることで生気を取り戻した感じで、うま味が増幅する。

ノリは味付けのものが添えられている。鶏飯の具としてノリはよく登場するが、味付けは珍しい。濃厚なスープの中で埋もれてしまわないためだろうか。

みなとやに勝るとも劣らない人気を誇るのが「ひさ倉」だ。西郷隆盛が愛可那と過ごした龍郷町にある。奄美空港から島の中心地である名瀬に向かう道路に面し、観光客も立ち寄りやすい。

ひさ倉はもともと大島紬の織元をしていたが、販売が下火になったため、1993年に職替えして鶏飯専門店としてオープンした。当初から自家養鶏場を用意し、鶏はすべて自前だ。メニューには焼き鳥や鳥刺しもある。

ひさ倉の鶏飯の特徴はまずスープ。みなとやと比べると油は少ない。しかし、うま味は非常に強い。淡い色で透き通っていて、関西のだし汁を思い出させる。みなとやのスープのうま味は口の中全体に迫ってくる感じなのに対して、ひさ倉のそれは舌の味蕾(みらい)一つひとつを確実に刺激してくるようなきめ細かさがある。

島の中心地である名瀬の歓楽街・屋仁川や、ホテルの朝食でよく提供されるのが鶏飯丼だ。鶏飯はスープ、ご飯、具材が別々の鍋、おひつ・茶わん、皿に乗って提供されて「ごちそう」の趣がある。一方の鶏飯丼は最初から、ご飯と具の上にスープがかかった「鶏茶漬け」の見た目だ。高級感はないが、すぐに食べることができる。つまり酒を飲んだ後のシメにふさわしいと言える。

この鶏飯丼を最初に提供したのは、1980年に開業した居酒屋・焼肉店の「むさしや」だ。赤木名の、みなとやの道路を挟んだ向かいにある。この鶏飯丼の誕生により、鶏飯は「特別なごちそう」というイメージから、カレーライスやカツ丼と同列の気軽な食べ物というイメージも併せて持つようになり、様々な飲食店のメニューで採用されやすくなった。

須山教授によると、鶏飯または鶏飯丼を提供する店は100前後あるという。最近加わった店では、鶏飯丼の方が多い。さらに、フリーズドライの鶏飯のもとといった手軽な形式も増えており、観光客や奄美大島出身でほかの地域に住む人たち向けのお土産としてよく買われているようだ。

観光で訪れる際には、「鶏飯」を頼むとごちそうの感じを味わえて、特別な体験だと実感できるだろう。「鶏飯丼」を頼むなら、やはり酒を飲んだ後のシメに。この使い分けは奄美観光のコツの一つかもしれない。

(熊谷勇一)

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