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野村克也さん「死ぬまで働く。生活の安定は自ら確保」 80歳を過ぎて妻に先立たれたら(下)

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2018/9/18

「『稼げる仕事』に就きたくてプロ野球選手になり、初任給から毎月、母への仕送りを続けた」と、野村克也さんは話す。(写真:福知彰子)
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捕手としても、バッターとしても活躍し、数々の記録を打ち立てた野村克也さん。家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、すべて妻任せだったという。前回の「野村克也さん 一人の暮らし支える亡き妻の言葉」に引き続き、お金の管理やプロ野球選手になった理由などを聞いた。

◇  ◇  ◇

──この半年間、テレビ出演や執筆など、精力的に仕事をこなされていますね。

なぜか分からないけど、毎日のように仕事がある。何で俺なんだろうね(苦笑)。

そういえば、「もうこれぐらいでいいや」と諦めないことも、サッチーさんの信条だった。「自分はここまで」と自己限定せず、やりたいことや目標を持ち続けることが、生きる意欲や成長につながるって。年を取って一人で暮らしていると、その意味がよく分かる。

あとは、健康のために我慢しないこと。健康に悪いからと好きなものを我慢してストレスをためるより、好きなものを食べて元気でいた方がいいというのが彼女の持論。だから僕は今も好きなものを食べ、よく眠るようにしている。それが健康のバロメーターになっています。

「死ぬまで働け」にも通じるけど、できる限りお上には頼らず、生活費は自分たちで何とかする、というのもサッチーさんが言い続けたことだった。

──お金のことは沙知代さんに任せきりだったとか。今はお金の管理はどうしていますか?

克則の奥さんに任せています。前は時計やら洋服やら、欲しいものがたくさんあったけど最近は物欲もなくなってきたしね。サッチーさんがいた頃は、「現金を持たせると女に使うから」とお金を持たせてもらえず、普段の支払いは全てクレジットカード。銀行からお金を引き出す方法も知らなかったよ(笑)。お金とは縁がないね。

■「稼げる仕事」に就きたくてプロ野球選手に

──それでも最初は、「稼げる仕事」に就こうとプロ野球選手を志したそうですね。

たくさん稼いで母親を楽にしてあげたかったの。うちは僕が3歳の時に父を亡くして、母と兄との3人暮らし。僕が小学生の時に母は2度がんにかかり、生活はいつも苦しかった。

最初は歌手になろうと思ったけど、学校で音楽部に入ったら才能がないと気付いた。次に映画俳優になろうと思ったけど、鏡で自分の顔をまじまじと見たら無理だと思った。最後に残ったのがプロ野球選手だった。

テスト生として南海ホークスに滑り込むことができたけれど、契約金はゼロ。月の給料は7000円で、寮費3000円を支払って残った4000円から、毎月1000円を母に送り続けました。その後結構稼ぐようになって、何万円も仕送りするようになったけど、「あの頃の1000円の方が母ちゃんはうれしかった」って言われて。

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