安い牛すね肉がジューシーさのもと 究極のハンバーグ
男のハンバーグ道(3)
日本経済新聞出版社の新書、日経プレミアシリーズ『男のハンバーグ道』からの第3回。究極のおいしいハンバーグを作るには、どんな肉を使うべきか……。高い肉から安い肉まで、著者の徹底調査が始まった。
ハンバーグは、素材にこだわらなくともおいしく作れる庶民的な料理だ。だからこそこれまでの実験では、スーパーで買ったごく一般的な牛豚合いびき肉を使ってきた。しかし、最後に自分で牛すね肉をミンチにしたとき、こねたときの弾力の強さ、そして何より焼き上げたときのおいしさに驚いた。やはり歴然とした差があるのだ。
まずは牛肉について考えてみる。
スーパーで普通に買える部位として、肩、肩ロース、リブロース、サーロイン、ヒレ、バラ、もも、ランプ、すね(カレー・シチュー用として売られている)の肉を用意した。シンタマ、ミスジ、イチボ、カイノミ、ヒウチなど、マニアックな部位でも試したかったが、手に入れにくく、また予算の都合もあるので断念した。
脂がおいしさを左右するのをこれまで見てきたが、部位によって脂が多かったり、少なかったりする。純粋に「肉そのものの味」を比較したいので、各部位の脂は極力取り除いた。また、サシがたっぷり入った和牛や比較的脂の多い、米国産だと脂の影響が大きくなりそうなので、より赤身が多いオーストラリア産を使った。
これらの肉をミンチにする。そのひき肉100グラムに1パーセントの塩を加え、1分間すりこぎでたたく「基準のこね方」でこねる。この肉だねを4等分して、1個25グラムの小判形にまとめた。
肉だねの量は今回に限り、かなり少量とした。9種類もの肉だねを比較するので、予算と手間の都合である。こねる実験のときは通常半分の50グラムだったから、さらに半量のミニミニハンバーグだ。
これら9種類の肉だねを焼いてみよう。
フライパンに大さじ1の油をひき、肉だねを中心から等距離になるよう並べたら、火をつける。最初は弱い中火で焼き、パチパチと音がするようになったら弱火にする。側面の色が半分の高さまで変わったら、裏返す。全体の色が白くなれば完成である。
冷たいフライパンに肉だねを入れることに驚くかもしれないが、問題なくきれいに焼きあがる。フライパンを熱してから肉だねを入れる方法だと、入れるタイミングが少しズレただけで加熱具合が変わってしまい、比較するときに誤差が出やすいのだ。
さて、焼きあがった9つのミニミニハンバーグを家庭内で試食実験する。
驚くべきことに、ひとつの部位だけが突出して美味という結果が出た。私自身、その部位だけ、ずばぬけて味が複雑でうま味も強く、非常にジューシーに感じた。高級な部位ではない。すね肉である。値段は安く、硬い部分なのに、ひき肉になったとたん、ほかを圧倒するおいしさになるのである。
最もおいしくなかった部位も全員一致した。ヒレだ。べちゃっとして軟らかすぎ、焼くとボソボソとパサついて、味も淡泊だった。値段は最も高いのに、ひき肉にすると最もおいしくない部位と化すのは面白い。
このとき食べ比べた部位の中で、ヒレは最も軟らかい部位である。人は生物として、軟らかいものをおいしいと感じるようにできている。あまり咀嚼(そしゃく)する必要がなく、消化もいいので、効率的に栄養が摂取できるからだ。ヒレをそのまま焼いて食べるとき、人は生存本能からその軟らかさを尊ぶ。最も喜ばれる部位だから、当然値段も高くなる。
一方、すね肉は、このとき食べ比べた部位の中で最も硬い部分である。だから、通常は煮込み料理に使われる。試しにすね肉を焼いただけで食べてみてほしい。かみ切ることができず、かみ続けてもなかなか軟らかくならない。あごが疲れ、痛くなってくる。特に硬いすじの部分は、どんなにかんでもかみ切れないほどだ。体内に取り込むのに時間がかかるため、本能的に敬遠され、人気がないから値段も安くなる。
しかし、ひき肉になると、その安く、敬遠される肉こそが、一番おいしく感じられる。いったいなぜなのか、理由が探ってみたい。
そもそも「肉が硬い」とは、どういう状態なのだろう。
牛肉とは牛の骨格筋のことだ。筋肉と考えると、「硬い」の意味がよくわかる。人間でも鍛えると筋肉が硬くなるが、肉の硬さは、その部位の筋肉が鍛えられているかどうかに関係するのである。
牛や豚は筋トレをするわけではないが、体の構造と行動様式によって、おのずと鍛えられる部位が出てくる。彼らの生活の中心は食事と移動。そのために使われるのは、足や首、肩の筋肉だ。特に足のすねの部分は、常に使っている状態にある。
一方、あまり使われない筋肉もある。背中の筋肉にあたるロースやヒレの部分だ。これらは4本脚で立っている牛が、後ろ脚で立ち上がるときだけに使われる。ふだんあまり使われないため筋肉が軟らかい。特にヒレは常にゆるんだ状態にあり、そのため繊維は細く、最も軟らかい部位となるわけだ。
さて、ひき肉のいいところは、この硬さが問題にならなくなることだ。細かく切る、ひく、すり潰すといった作業によって、硬さの問題が解決される。肉の味さえよければ、その部位が一番おいしい、ということになる。
ひき肉は原始時代から、人類にとって、きわめてなじみ深いものだったに違いない。捕獲した野生動物の肉には、腱(けん)などが多くてそのまま食べるには硬すぎる部分がたくさんある。それらは細かくしたり、すり潰したりして食べたと考えられている。縄文時代の遺跡から出土する石皿、磨石、敲石(こうせき)といった道具は、どんぐりなどをすり潰すほか、肉をミンチにするのにも使われたという。
では、硬いという欠点を取り除くことで現れてきた「すね肉のおいしさ」とは、どのようなものか。なぜ突出してジューシーに感じたのだろうか。
ひとつは筋膜の厚さが関係していると思われる。すねはよく使われる部位なので、細い筋繊維ひとつひとつを包み込んでいる筋膜が厚い。このために肉が硬くなるわけだが、この膜があるおかげで、内部の水分が流出しにくいのだ。
もちろんひいてしまうと、これらの線維も細かく断ち切られるが、細かくなっても筋繊維の外周部は筋膜に覆われている。だから、肉のうま味成分をふくんだ水分がさほど逃げ出すことなく、肉の内部に保持されるのではないか。
また、ジューシーさには、コラーゲンというタンパク質も関係しているだろう。
常に動いているため、すねの骨格筋には、筋肉を骨をつなぐ腱や筋膜が多い。腱はコラーゲン繊維がびっしりと並んだ硬く、強靱(きょうじん)な組織であり、筋膜はコラーゲンが網目状に織られた組織だ。コラーゲンというと「お肌がぷるぷる」になるような、とろとろと軟らかいものを想像するかもしれないが、実は非常に硬いタンパク質である。すね肉が硬いのはコラーゲンのせいといっていいぐらいなのだ。
しかし、その硬いコラーゲンは、熱を加えると軟らかくなる。だいたい80度ぐらいから繊維がほどけ始め、ゼラチンとなるのだ。ゼラチンは水溶性なので、肉汁を吸い込んでふくらむ。肉汁を肉の内部に保持してくれるから、ジューシーさが生まれるというわけだ。ハンバーグの場合、中心部の温度が80度以上になることはない。だから中心部までゼラチン化が進んでいるとは思えないが、周辺に近い部分ではゼラチン化し、水分保持に貢献しているはずだ。
そして、すね肉にはうま味成分であるイノシン酸が、ほかの部位よりも多く含まれている。つまり、肉汁を閉じ込める能力が高いだけでなく、肉そのもののうま味も強いのだ。
以上の理由から、ひき肉にするという前提で牛肉の部位を選ぶとなると、もう迷うことなくすね肉がベストだと言い切れる。
ライター 1969年東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て、中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等で書評の執筆を開始。現在は山梨に暮らしながら執筆活動を行うほか、小中学生の教育にも携わる。著書に『なんたって豚の角煮』『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』『家飲みを極める』などがある
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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