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GEジャパンの浅井英里子社長

GEジャパンの浅井英里子社長

米ゼネラル・エレクトリック(GE)の日本法人、GEジャパンのトップに2018年1月、浅井英里子社長(50)が就任した。出産のため退職し、再就職、転職を経て同社に入ったのは7年前。官公庁を相手にさまざまな交渉をまとめてきた手腕が評価された。その原点は9歳のときの「修羅場」にあったという。同社初の女性社長のキャリアの軌跡とリーダーシップとは。

再就職で初めて外資へ。政策部門で頭角を現す

――新卒で入ったのはソニーでした。

「大学時代に1年間英国に留学し、帰国後、学生団体で国際会議を運営するうち、世界と日本の懸け橋になる仕事をしたいと思うようになりました。ちょうど(ソニー創業者の)盛田昭夫さんの共著『NOと言える日本』が流行っていた時代で、ソニーは女性がいきいき活躍している会社のシンボル的な存在でした」

「憧れて入ったら入社式で盛田会長がいきなり『つまらなかったらいつでも辞めてください』とおっしゃって。もちろん、つまらなくなることなど一瞬もなく、4年目にはドイツのソニーヨーロッパに赴任しました。チームで日本人は私一人、ドイツ語も全く話せませんでしたが、早く海外に出たかったので張り切っていました」

「毎週のようにヨーロッパのあちこちに出張して充実していました。ただ、私は30歳くらいで子どもを産みたいと常々考えていました。当時はソニーでさえ、女性社員が駐在中に産休を取るなんて前代未聞という時代。仕事を続けるのはやっぱり難しいなと思い、いったん区切りをつけることにしました。結局、結婚前に退職。望み通り30歳で出産し、2年半は子育てに専念しました」

――やり甲斐のある仕事を辞めて、不安や復帰への焦りはありませんでしたか。

「最近の若い人はいったん辞めたら復帰できないとか、チャンスは巡ってこないとよく言いますね。でも私の場合は、純粋に子育てが楽しかったし、もともと一度決めたら絶対に後悔しないタイプなので、そんなふうには感じませんでした。子育てより大事な仕事はないと思っていましたし、その考えは今も変わりません。先々のことを思い悩まず、流れにまかせて違うことをやってみるのも案外大事じゃないでしょうか」

「再就職したのは、自宅の近所にあった外資系の金融システム会社です。その後、外資系ベンチャーに移り、子どもが小学校に上がるタイミングで日本マイクロソフトに転職しました。そこで初めて、官公庁との折衝を担う政策渉外という仕事に出合い、GEに来てからもその分野を専門にやってきました」

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