2018/8/25

ビジュアル音楽堂

思索にふけるような深い響きの青柳さんのピアノ演奏は、印象派絵画に結び付けやすい従来の美術的視点ではなく、マラルメの詩やマルセル・プルーストの小説、ポール・ヴァレリーの文芸評論などを読みあさる文学趣味からのアプローチを思わせる。祖父はジャン・ジャック・ルソーやギ・ド・モーパッサン、ギヨーム・アポリネールの作品の翻訳で名高い仏文学者で詩人、美術評論家の青柳瑞穂氏(1899~1971年)。いづみこさんは2001年に評伝「青柳瑞穂の生涯」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

全12曲ごと12人格を演じる「前奏曲集第1巻」

文筆家としての彼女の本領はもちろん、自身のピアニストとしての経験を生かした音楽関係の評論や随筆で特に発揮されている。こうした文筆活動がピアノ演奏にフィードバックされ、ドビュッシー音楽を独自の感性と洞察によって再現する。今回のCDに入れた「前奏曲集第1巻」は青柳さんが1996年に最初のCDアルバムに入れた曲集でもある。そのCDの評価が高かったため、逆に再録音をしにくかったという。

「『前奏曲集第1巻』には真逆の性格をぶつける対比の精神が実によく出ている」と青柳さんは解説する。彼女のアプローチは全12曲それぞれの異なる個性を存分に引き出すものだ。同曲集では「『西風の見たもの』を荒れ狂って弾いた直後、『亜麻色の髪の乙女』で繊細かつ優雅な雰囲気を出す」と曲ごとに対比を強調した演奏を展開している。

ドビュッシーの夢見た音楽について語るピアニストで文筆家の青柳いづみこさん(8月3日、東京都中央区のヤマハ銀座ビル別館)

「ピアニストは役者と同じで、どんな役でも演じられないといけない」と演奏家のあり方を主張する。ただミスなく上手に弾ければ済む話ではない。「『前奏曲集第1巻』では12曲ごと12人格が必要。様々なテキストに応じて個性を演じる。そのためには様々なものを持っている演奏家にならないといけない」。そして役者が演じるような世界でこそ「自分の特性を生かせる」と自負する。

青柳さんの特性がドビュッシーに合うことは、この作曲家がどんな存在かを確かめれば分かる。「ドビュッシーは音楽の最前衛で戦っていたが、急速に時代遅れの作曲家にさせられた」と青柳さんは指摘する。不規則リズムや不協和音を多用したイーゴリ・ストラヴィンスキー、伝統的和声を破壊し無調や十二音技法へと突き進んだアルノルト・シェーンベルクら新世代の作曲家たちが20世紀に入って台頭し、作曲手法としてはドビュッシーよりも先を行くようになった。

ドビュッシーは幼少時に普仏戦争で不遇を体験したため「ドイツが大嫌いだった」。しかし一方でドイツオペラの大御所リヒャルト・ワーグナーの音楽を崇拝し、影響を受け続けた。このため「精神的には19世紀末から(20世紀へと)一歩も出て行けなかった」。一方で、20世紀を代表するハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークの著作を集めた「バルトーク音楽論選」(伊東信宏・太田峰夫訳、ちくま学芸文庫)によると、ドビュッシーはワーグナーのオペラの朗唱法から脱却するために古いフランス音楽に遡ってその朗唱法を取り入れる必要があったという(同著「ハンガリー人の農民音楽」)。確かに先進性もあったわけで、ここに「印象主義」や「前衛」「現代音楽」といった言葉でレッテル張りできないドビュッシー音楽の複雑な事情、曖昧さ、分かりにくさがある。

多様な面を持つ作曲家に向き合うには、演奏家の側も様々な教養や関心を持ち、幅広い分野の趣味の理解者でなければならない。ドビュッシー自身が象徴主義からデカダンス、オカルトに至るまで幅広い文学趣味の持ち主だった。最晩年には米国の詩人エドガー・アラン・ポーの怪奇小説「アッシャー家の崩壊」のオペラの作曲も夢見た。そして青柳さんも特別に文学趣味の強いピアニストだ。固定観念を排してドビュッシー音楽の真意に迫るのにふさわしいタイプといえる。誰も気付かなかったようなドビュッシーの夢が彼女のピアノから鳴り始める。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)