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松山の鍋焼きうどん 一年中食べる、飲んだ後も食べる

ふるさと 食の横道(5) 瀬戸内島伝い編

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NIKKEI STYLE

あまり知られていないようだが、愛媛県の県都、松山市は鍋焼きうどんの町だ。めったに雪も降らない瀬戸内にありながら、市民は年中、鍋焼きうどんを食べる。メニューに取り入れている居酒屋も多く、飲んだ後の締めになる。

戦後間もなく、松山に「アサヒ」と「ことり」という2軒の鍋焼きうどんの店ができた。この2軒が両雄、あるいは双璧となって松山に鍋焼きうどんの文化を根付かせた。「アサヒ」には以前、行っている。今回は「ことり」ののれんをくぐった。

アーケード商店街の「大街道」から路地を入ったところに「ことり」は小さな看板を掲げている。テーブル席と小上がりを合わせて30人も入れば、いっぱいになりそうな店だ。平日の正午前だというのに、どこからか人が来てどんどん入っていく。

メニューには鍋焼きうどんといなりずししかない。午前10時に店を開け、午後1時すぎには「売り切れご免」となる。私たちは店がすき始める午後1時前に客となった。

テーブルに鍋焼きうどんが運ばれてきた。松山の鍋焼きうどんはアルミ鍋で供される。レンゲもアルミだ。お隣香川県のさぬきうどんと違って、コシで勝負しないふわふわのうどんが黄金色のおつゆに気持ちよさそうにつかっている。具はかまぼこ、細かく刻んだ油揚げ、だて巻きのような黄色い練り物、甘辛く煮た牛肉、青ネギ。

レンゲでおつゆを口に含むと「おっ」と声が出た。わずかな濁りもないうま味がぐいと押し出してくる。これはひょっとして……。

「そうです、イリコ(煮干し)です」と店主の森田史之(ちかゆき)さん(86)が教えてくれた。「イリコは秋の一時期に伊予灘で捕れたものに限っています。頭もワタもそのままです。午前3時に起きてイリコと利尻昆布の一番上等なもので出しを取るんです。かつお節は使いません。醤油はウチ用の特別なものを醤油屋さんにつくってもらっています」

その出しのうま味で満たされたおつゆが柔らかなうどんに優しくまとわりついて、するすると喉を通る。牛肉や油揚げは薄い味付けをまとって控えている。主役のおつゆを渋い演技でもり立てる寡黙な脇役といったところだ。

この店は戦前、普通の食堂だった。しかし松山は終戦間際の空襲で灰じんに帰し、食堂も焼けた。食糧事情が落ち着いてきた昭和24(1949)年、3姉妹が鍋焼きうどんの店「ことり」を始めた。その3姉妹というのがそろって現役だ。毎日厨房に立って火にかけたアルミ鍋で次々に鍋焼きうどんをこしらえていく。年齢は84歳、81歳、78歳。開店当時、一番上が17歳、真ん中が14歳、末っ子が13歳だった。幼い姉妹が力を合わせてここまできた。店を見渡すと男性は森田さんだけで、厨房もホールも全員女性だ。姉妹とそのお嫁さんだけでやっている。

「消費税の引き上げでやむなく520円に値上げしました。ここは自宅で家賃がかからないし、身内だけで切り盛りしていますから何とか続いています」と森田さんは言う。しかし厨房は姉妹の笑い声でにぎやかだし、森田さんも背筋がすっと伸びていて穏やかな笑みをたたえている。

鍋焼きうどんをすすっている途中に思いついて30円の生卵を割り入れてもらい、1皿2個260円のいなりずしを平らげた。鍋に残ったおつゆを一滴残らずレンゲで口に運び、冷たい水を飲む。九州で生まれイリコ味で育った私は、口に残るおつゆの味にうっとりした。

翌朝、今治から高速船で大三島の宗方港に向かった。船は途中、来島海峡大橋をくぐる。見上げれば薄曇りの空を断ち切るように、上空を橋が覆っていた。

宗方港から車で大山祇(おおやまずみ)神社へ。「日本総鎮守」の額がかかる鳥居をくぐって本殿に進み、かしわ手を打つ。清澄な境内には樹齢3000年という特別天然記念物のクスノキの古木もあって、社の歴史をしのばせる。

そこから車で島の北東にある盛港に行く。フェリーで向かったのは大久野島だ。戦前は軍の毒ガス工場があったため、地図から消されていた。いまは休暇村大久野島が建ち、海水浴場もあって島全体が行楽地になっている。

昭和46(1971)年、島外の小学校で飼っていたウサギが、何かの事情でこの島に放たれた。繁殖に繁殖を重ねて、いつの間にか700羽に増えた。ウサギ年だった平成23年、ネット上で「ウサギの島」として紹介されたのをきっかけに急に注目を集めるようになった。外国のテレビ局の取材も相次ぎ、島を訪れる外国人が急増している。

夕方近くになってフェリーで広島県竹原市に渡った。市内に残る重要伝統的建造物群保存地区、つまり町並み保存地区には、NHK朝のドラマ「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝の生家「竹鶴酒造」が往時の姿で現存している。いまでこそやや落ち着いたが、放送中は歩けないほどのにぎわいだったという。

私たちの目的はそこではない。散策はほどほどにして、JR竹原駅に近い「味いろいろ ますや」に入る。迎えてくれた店主の升谷隆美さんは「魚飯」を用意してくれていた。

「ぎょはん」と読む。竹の器に入っているのは卵、ドーマルと呼ばれるトラハゼのそぼろ、穴子、エビ、シイタケ、キュウリ、コンニャク、ゴボウ、タケノコ、ニンジン。ドーマルの骨を揚げたものが添えられている。

かつて竹原は製塩で栄えていた。浜旦那と呼ばれる製塩業者は富を蓄え、酒造業も営んだ。竹鶴家もそのひとつだった。そんな旦那衆が客をもてなすための料理が魚飯で、庶民は口にすることができなかった。

食で竹原をPRするために市民が集う「竹原の食を考える会」が、古い地元紙の記事に魚飯のレシピを見つけたのが3年前。それに従って魚飯を復元した。「いつの間にか消えた幻の郷土料理」だと思われていた。ところがそのことを知った竹鶴家から連絡が入った。「いまも我が家では魚飯をつくっています」。滅んではいなかったのだ。

色とりどりの具をご飯に散らし、昆布、イリコ、かつお節でとった出し汁を注いで食べる。この料理ができたのは江戸か明治か。いずれにしてもとんでもないごちそうだったろう。海と山の幸が混然となって、食べる人を黙らせる。

未知の所に行けば未知の人がいて、未知の味がある。口を動かしながら。旅の喜びをしみじみとかみしめる。

文=野瀬泰申 写真=キッチンミノル

[日経回廊 2015年8月発行号の記事を再構成]

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