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松山の鍋焼きうどん 一年中食べる、飲んだ後も食べる ふるさと 食の横道(5) 瀬戸内島伝い編

2018/9/12

食糧事情が落ち着いてきた昭和24年、3姉妹が鍋焼きうどんの店「ことり」を始めた

 この店は戦前、普通の食堂だった。しかし松山は終戦間際の空襲で灰じんに帰し、食堂も焼けた。食糧事情が落ち着いてきた昭和24(1949)年、3姉妹が鍋焼きうどんの店「ことり」を始めた。その3姉妹というのがそろって現役だ。毎日厨房に立って火にかけたアルミ鍋で次々に鍋焼きうどんをこしらえていく。年齢は84歳、81歳、78歳。開店当時、一番上が17歳、真ん中が14歳、末っ子が13歳だった。幼い姉妹が力を合わせてここまできた。店を見渡すと男性は森田さんだけで、厨房もホールも全員女性だ。姉妹とそのお嫁さんだけでやっている。

「消費税の引き上げでやむなく520円に値上げしました。ここは自宅で家賃がかからないし、身内だけで切り盛りしていますから何とか続いています」と森田さんは言う。しかし厨房は姉妹の笑い声でにぎやかだし、森田さんも背筋がすっと伸びていて穏やかな笑みをたたえている。

 鍋焼きうどんをすすっている途中に思いついて30円の生卵を割り入れてもらい、1皿2個260円のいなりずしを平らげた。鍋に残ったおつゆを一滴残らずレンゲで口に運び、冷たい水を飲む。九州で生まれイリコ味で育った私は、口に残るおつゆの味にうっとりした。

今治から高速船で大三島の宗方港に向かった 船は途中、来島海峡大橋をくぐる

 翌朝、今治から高速船で大三島の宗方港に向かった。船は途中、来島海峡大橋をくぐる。見上げれば薄曇りの空を断ち切るように、上空を橋が覆っていた。

 宗方港から車で大山祇(おおやまずみ)神社へ。「日本総鎮守」の額がかかる鳥居をくぐって本殿に進み、かしわ手を打つ。清澄な境内には樹齢3000年という特別天然記念物のクスノキの古木もあって、社の歴史をしのばせる。

 そこから車で島の北東にある盛港に行く。フェリーで向かったのは大久野島だ。戦前は軍の毒ガス工場があったため、地図から消されていた。いまは休暇村大久野島が建ち、海水浴場もあって島全体が行楽地になっている。

 昭和46(1971)年、島外の小学校で飼っていたウサギが、何かの事情でこの島に放たれた。繁殖に繁殖を重ねて、いつの間にか700羽に増えた。ウサギ年だった平成23年、ネット上で「ウサギの島」として紹介されたのをきっかけに急に注目を集めるようになった。外国のテレビ局の取材も相次ぎ、島を訪れる外国人が急増している。

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