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アフリカの歴史都市トンブクトゥ 世界遺産に迫る危機

日経ナショナル ジオグラフィック社

2018/8/18

ナショナルジオグラフィック日本版

トンブクトゥの学術の中心地の一つ、サンコーレ大学(PHOTOGRAPH BY DBIMAGES, ALAMY STOCK PHOTO)

西アフリカのマリの町トンブクトゥ。「世界の果て」と呼ばれる砂漠に近いこの町は、15世紀に栄え、1988年に世界遺産に追加された。しかし、わずか2年後の1990年には「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に登録されてしまう(参考「世界遺産なのに守れない? 危機遺産の深刻な現実」)。2005年には解除されたものの2012年にはマリ国内で武力衝突が活発化し、再び危機遺産リストに入ってしまった。何が起こったのか。

トンブクトゥは、かつての交易都市であり、またこの地に帝国が栄えた時代にはイスラム世界の学術の中心地にもなっていた。2万5000人が在籍した大学や宗教学校は、13世紀から16世紀にかけてアフリカ中にイスラム教を広めるにあたって大きな役割を果たした。

カイロ、バグダッド、ペルシャなどから来た著名な学者のために、製本されたイスラム教の聖典がトンブクトゥに運ばれた。天文学や数学、医学、法学など、イスラム世界の高度な知識が集まり、膨大な数の写本が作られた。現存する写本も多く、アフリカ史を研究するうえで貴重な資料となっている。ただし、こうした文化的な資料が危険な状態にあるものも少なくない。

現在のトンブクトゥの町は過去の栄光からはかけ離れている。ここを訪れた旅人の目には、くたびれた町に映るだろう。

■15世紀、宗教と学術の都として繁栄

それでも、イスラム世界のオアシスとしてのかつての輝きは、ジンガリベリ、サンコーレ、シディヤヤという3つのモスクに厳然として残っている。日干しレンガと木で造られた壮大なモスクは、トンブクトゥの黄金期をほうふつとさせるものだ。こうしたモスクは、14世紀から15世紀にかけて礼拝所として使われるだけでなく、「平和の使者」とも呼ばれたイスラム学者たちの拠点にもなった。

トンブクトゥの貴重な写本のほとんどは個人の手にわたり、表には出てこない。ブラックマーケットで売買されたものもある。トンブクトゥの魂を切り売りするかのような行為だ。図書館や文化センターを設立し、貴重な資料を守り、観光収入も得ようという計画もある。いずれもまだ始まったばかりだ。

トンブクトゥの近くにはニジェール川が流れる。この付近で北アフリカのサバンナはサハラ砂漠へと変わる。砂漠は、ラクダを連れたキャラバン隊の交易路だ。交易は実際に行われ、小さい規模ながら今も続く。

砂漠では、塩は貴重品だ。塩や交易での品々は、最盛期のトンブクトゥに大きな富をもたらした。実は、最初に学者たちをトンブクトゥに連れてきたのは、豊かなキャラバン隊だったのだ。

■危機遺産リストに再び登録

16世紀に入り、モロッコの侵攻を受けたトンブクトゥから学者たちが去り始める。また交易路は徐々に海岸沿いに移っていって、町の重要性と威信は薄れていく。19世紀末にフランスの植民地となるころには、トンブクトゥは普通の町となっていた。

1988年に、トンブクトゥは世界遺産に登録される。だが、3つの古いモスクの保存状態は悪化を続け、わずか2年後の1990年には危機遺産リストに登録されてしまう。その後、保存環境が改善。2005年に危機遺産の指定からトンブクトゥは解除される。

トンブクトゥは、世界遺産をはじめとする過去の資源を活用して、観光地として町を発展させようと努力を続ける。しかし、近年、モスクのそばで開発が始まり、ユネスコの世界遺産委員会は監視を強化している。

またトンブクトゥは、サハラ砂漠との境界に位置することから、砂漠からの砂によるモスクの浸食が激しく脅威となっている。さらにマリ国内で武力衝突が活発化し、トンブクトゥは2012年に再び危機遺産としてリストに登録されている。

(文 NATIONAL GEOGRAPHIC STAFF、訳 鈴木和博、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2018年8月6日付]

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