N
Men's Fashion
ひと

2018/8/26

ひと

「結局1000人から1500人の元社員が既存のアパレル企業に入っていきました。ファッションを何も知らない企業の幹部から見たら、VAN出身者であれば、誰でも素晴らしく思えたのでしょう」

「VAN出身者が食べていけたのは、学校で習うのではなくカラダで覚えたファッションの文化的感性を培っていたからだと思っています」

石津氏から激励のメッセージ。貞末氏の応接室に飾ってある

――メーカーズシャツ鎌倉を興した際、石津氏から激励のメッセージが贈られました。文面をみると、経営に失敗したという意識はうかがえません。

「私は石津先生の東京・青山事務所に定期的に通っていました。『こんな文章をお願いしたい』というメモを差し出したら、サッと目を通して書いていただいたのです。年齢を重ねていってもカンの良さは抜群でした」

■VANの栄枯盛衰から学んだ生き残りのカギ

――石津氏は2005年に93歳で亡くなりました。VANの栄枯盛衰を身近で見て何を学びましたか。

「ファッション産業はシステム産業でないと成り立たないということです。売れ筋だけを追って、今年は何が売れるとか売れないといった競馬の予想みたいなことをやっていれば、いずれ破綻します。一番大切なのは売る量とつくる量のバランスを成立させることです」

「メーカーズシャツ鎌倉は私と妻の夫婦2人で創業した会社なので、ローコスト経営を追求しました。シャツはビジネスマンの必需品として普遍的な価値があり、流行に大きく左右されません。しかも消耗品です。ロスの生みにくい点に注目しました」

「アパレルは競争が激しい業界です。経営者の心得はおしゃれを愛しても、愛しすぎないことです。私がVANの倒産から会社を立ち上げるまで、4つの会社に勤めましたが、いずれももうありません。商品企画から製造、物流、販売までを一貫して手がけるSPA(製造小売り)モデルを確立することが、アパレル業界で生き残るカギとなります」

(聞き手は松本治人)

貞末良雄氏
1940年山口県生まれ。64年千葉工業大学電気工学科卒。66年ヴァンヂャケット入社。統括部長として営業、販売促進、物流、商品企画を担当。78年同社倒産により退社。81年ヴィレジャージャパン設立に参画。92年シーン専務営業本部長。93年にメーカーズシャツ鎌倉を創業。現在国内26店、海外3店を運営。

《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
(2)大切なことは全部、VANで学んだ 鎌倉シャツ会長
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長

SUITS OF THE YEAR 2021
Watch Special 2021
SPIRE
SUITS OF THE YEAR 2021
Watch Special 2021
Instagram