2018/8/19

ひと

「自社で倉庫を保有する必要もないことが分かりました。住友倉庫に出向いて商品の単品管理と配送をお願いしました。当時、アパレル業界で初めての取り組みでした」

――1960年代、VANのアイビールックは大流行しました。VANは時代の先端を走る企業として急成長しました。

「石津先生は拠点を創業の地、大阪から東京に移しましたが、大阪に来ると我々を食事などに連れて行ってくれました。『良い靴を履きなさい』『おいしいものを食べなさい』などと私たちに教えを説きながらも、次々に新しいアイデアが浮かんでくるようでした」

「100年という長期的な観点で日本の服飾文化を変えた1人を選ぶのなら、ほかの誰でもない石津謙介先生でしょう」

「そのころには私もVANの靴を履いていました。しかし石津先生は『貞末君、ウチで扱っている商品だから悪いとはいわないよ。しかしイタリア製の靴にも挑戦してみたらどうかな』などとアドバイスされるような方でした」

■アイビー着目の理由は敗戦にあり

「石津先生がアイビールックに着目した大きな理由は、実は日本が第2次世界大戦で敗戦したことにありました。やがて日本が再び世界と肩を並べて競争するとき、欧米相手に羽織袴(はかま)だけでは立ち向かえません」

「将来のことを視野に入れていたのです。日本に洋服のルールを根付かせようにも、すでに成人した世代ではもう遅い。そこで若者にファッションを啓蒙しようとしたのです。石津先生本人はイタリア風のファッションも好みでした」

「100年という長期的な観点で日本の服飾文化を変えた1人を選ぶのなら、ほかの誰でもない石津謙介先生でしょう」

(聞き手は松本治人)

貞末良雄氏
1940年山口県生まれ。64年千葉工業大学電気工学科卒。66年ヴァンヂャケット入社。統括部長として営業、販売促進、物流、商品企画を担当。78年同社倒産により退社。81年ヴィレジャージャパン設立に参画。92年シーン専務営業本部長。93年にメーカーズシャツ鎌倉を創業。現在国内26店、海外3店を運営。

《連載一覧》
(1)「幻のTPP」が生んだ純国産 鎌倉シャツ、狙うは海外
(3)倒産しても「我が師匠」 鎌倉シャツ会長のVAN盛衰記
(4)装いは礼節の一歩 軽視して成功なし 鎌倉シャツ会長