美容家・IKKOさん 年重ね分かり始めた両親の心
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は美容家でタレントのIKKOさんだ。
――九州男児のお父さんはIKKOさんを男らしく育てようとしたそうですね。
「スポーツが大好きで、私が初めての男児だったので、一緒に野球などをしたかったようです。でも私はすごく嫌で、父ともなじめなくて。私は小さな頃から自分を女だと思っていたから、父との確執はずっとありました」
「私が19歳で横浜に出てきた後、スカートをはいて帰省した時にも、父は私と目を合わせないようにしていました。着替えがなくて父のジャージーを借りると、『あぁ、それがいい』と喜んだりして。女性の生き方を表現する私を父は認めませんでした」
――お母さんは。
「美容院を経営していたのですが、父と違って『あなたの人生だから何やったっていいじゃない』って。ただ、母も私が男性を好きだとは分かっていなかったと思います」
「私がテレビに出演させていただくようになった41歳の頃、東京に家を建てたお祝いに来てくれた両親に、当時付き合っていた彼氏を紹介しました。今でいうカミングアウトのつもりで。父は激怒したけど、母は人様に迷惑を掛けているわけではないし、本人が幸せならいいんじゃないかって。『私は(姉2人、妹1人を含めて)娘を4人産んだと思うようにする』って言ってくれました」
「母は82歳の今も美容院をやっています。お客さんの悪口は絶対言わない、お客さんには全力で尽くすことを母を見て教わりました」
――お父さんは10年前に亡くなりました。
「父とは実質的に分かり合えなかったけど、距離を置いて見守ってくれていたと思います。母が言うには、最後は私を認めてくれていたって。女としてではなく、頑張っている生き方を。振り返ってみると、父が私を認めないというより、私を認めてくれない父を私の方が敬遠していたのかもしれません」
「父の葬儀には地元の人たちがたくさん参列してくれて『お父さんにはとても優しくお世話していただいたからお線香上げさせて』と言われてすごくうれしかった。父は生前、電力料金の集金や宅配の仕事をしていましたが、損得なしに人に優しく手を差し伸べた人だったのでしょう」
「生真面目だけど要領の悪い父の生き方はあまり好きではなかったけど、目に見える成功ばかりが成功ではなく、どれだけ人の心に残るかっていう見えない成功もあるんだって、死を通じて教えてくれた気がするんです。私も人の心に少しでも何かを感じていただける人にならなければいけないと改めて思いました」
「父と母が伝えたかったことが、この年になって少しずつ分かるようになりました。本当にありがたいです。もう少し早く気付けばよかったと、つくづく思います」
[日本経済新聞夕刊2018年8月7日付]
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