小谷実可子さん 50歳で心身がV字回復した秘密
元シンクロ五輪メダリストに聞く(上)
1988年のソウル五輪のシンクロナイズドスイミング(2018年4月からアーティスティックスイミングに競技名が変更)でソロ・デュエットともに銅メダルを獲得し、日本のシンクロ界を世界のトップレベルに押し上げた小谷実可子さん。現在は2人の娘を育てながら、東京2020オリンピック・パラリンピック招致アンバサダーなどとして活躍する一方、指導者として幅広い層にシンクロの技術や楽しさを伝え続けている。さらに、シンクロナイズドスイミングのショーの演出をしながら自身も出演し、51歳という年齢を感じさせない演技で観客を魅了する。現役時代から今も体重が変わっていないという小谷さんは、日ごろからどんなことを意識しているのか、お話を聞いた。
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確かに体重や洋服のサイズは現役時代から変わりません。でも、現役時代に比べると筋肉量はだいぶ落ちていますし、スタイル(体形)は同じとは言えない。
当時は朝から晩まで10時間以上練習する毎日で、1日で2kgほど体重が落ちました。当然エネルギーを消費して浮力も必要なので、1日5000キロカロリー以上の食事を5回ほどに分けて、無理やり口に入れるような生活だったんです。引退後、何が一番うれしかったかと言えば、もう無理に食べなくてもいいこと。もともと多く食べるほうではないので食事量は人並みになり、体重は減り、だから太らないために特に何かを節制してきたということはありません。
ただ、3年前に自身の体を見直し、変化させようと思ったきっかけがありました。それが2015年末から毎年行っているシンクロナイズドスイミングのショーへの挑戦です。
48歳でシンクロ再挑戦を決意
引退後、"水から陸"に上がった私は、五輪の招致活動はもちろん、シンクロの魅力を伝えていくことをライフワークとしてきました。そんな中、3年前にアクアパーク品川(東京)でシンクロナイズドスイミングのショーのお仕事のオファーをいただきました。私はシンクロの魅力を伝えるまたとないチャンスだと思い、「品川をラスベガス[注1]にする!」と決意しました。そして、若手に声をかけ、ショーのプロデュースやMCを手がけることに。すると関係者の方から、「ショーを成立させるために、ぜひ小谷さんも演技をしてほしい」という声をいただいたのです。
[注1]米国ラスベガスで開催されているシルク・ドゥ・ソレイユ「O」というシンクロナイズドスイミングの要素が加わった水中パフォーマンスのオファーであったため
それまでは、寝る前にストレッチをしたり、大学の授業やスポーツクラブで学生や一般の方々に教えたりと、多少は体を動かし、水着になったりもしていました。でも、それは健康づくりのためのエクササイズ的なシンクロであり、人前でパフォーマンスを披露するためのシンクロとはレベルがまったく異なります。当然、人前で演技するような体形ではなかったし、ましてや最後まで演技し続ける体力も自信もありませんでした。でも、すべてを投げ打ってでもショーを成功させたいという思いが強かった私は、体づくりから真剣に取り組むことを決心しました。48歳の時でした。
年上の仲間との刺激的なプライベートトレーニング
性格上、1人で黙々と練習するのは続かないし、自分を追い込めないと思い、個人的なトレーニングとして「ワークアウト(クロスフィット)」を始めることに。これは、少人数のグループでスクワットやダンベル運動、チューブを持って引っ張る運動といった筋力トレーニングを、45分間、皆で一緒に行うというものです(チューブの強度やダンベルの重さなどは、人それぞれ自分に合ったものを使います)。
一緒にトレーニングしている仲間は、アスリートではありません。普通に働いていらっしゃる方や主婦。しかも、私より10歳も20歳も年上の方たちが多く、さらに今の私と同じ強度でトレーニングされているので驚きます。私はトレーニングを始めた当初、「ギャオー」「ウォー」「もうダメ…」と悲鳴ばかり上げ、終わった頃には、ゼーゼー、ハーハーと息が切れて倒れ込んでいました。でも、インストラクターやトレーニング仲間から、「ファイトー!」「頑張れ!」「それでもオリンピアンなの?」と励まされたおかげで、ヒーヒー言いつつも自分を追い込んだトレーニングをすることができるようになりました。
週2回から始め、今は多い時期には週5回通っています。月曜日は、間に10分の休憩を入れつつ、45分のレッスンを3コマ受けるなどし、3年たってやっとトレーニング仲間についていけるようになりました。
トレーニング仲間の多くは、10年、20年近くこのトレーニングを継続されていて、皆さんに共通するのが、体形が引き締まって美しく、肌ツヤも血色もいいこと。何よりも、女性はかわいらしくカラフルなトレーニングウエアを身にまとい、本当に生き生きと元気にトレーニングされているんですよね。そして、トレーニングが終わると、普段着に着替えて主婦の姿に戻って帰っていく。さっきまでパワフルにトレーニングをしていた人とは別人のような雰囲気で…。皆さんのあのハツラツとした姿は私の目標でもありますし、トレーニングありきでスケジュールを組むような生活になりつつあります。
ショーには2015年末から毎年出ています。1年目は何とか1曲泳ぎきった…という感じだったのが、このトレーニングのおかげで、2年目は技術のレベルを上げた演技を披露することができました。今はどんな技でもこなせ、若手に負けないぐらい体が動く状態になってきたので、とても楽しいです。技術も柔軟性も体力も「私、ここまで動けるようになったんだ」という成長や、手応えを感じるのは本当にうれしく、生きがいに感じています。
おっくうがらず、すぐ動く体質に
こうした生活を3年続けて分かったことがあります。ショーに出る以前の楽しく汗をかく程度のトレーニングはストレス解消にはなりますが、今の追い込むトレーニングの方が、私には合うということ。つまり、体調が明らかに良くなり、身も心もハツラツとし出したのです。例えば、年齢を重ねるうちに、何か一つの行動を取るだけでもおっくうになったり、なるべくラクをして解決したいと思っていたりしたのですが、すぐにササッと動いて済ませられるようになりました。気力が高まった気がします。
恐らくショーに出るという目標があったから、きついトレーニングを続けられているのかもしれません。皆で励まし合いながら、トレーニングメニューを乗り切るやり方が、私には合っていたのだとも思います。現役時代は人に合わせて行動するのが苦手でしたが、五輪の招致活動などで、チームで必死に招致を勝ち取った経験を経て、皆で頑張るトレーニングスタイルを楽しく思えるようになったのだと思います。
いずれにしても、こんなに心身ともに健康になれるとは、本当にびっくりしています。体が思い通りに動くので、50歳を超えて心身がV字回復してきたなという感じです。
(ライター 高島三幸、カメラマン 鈴木愛子、ヘアメイク 住本由香)
1966年東京都生まれ。幼少の頃からシンクロナイズドスイミングの才能を開花させ、高校の時に単身米国にシンクロで留学。88年のソウル五輪でソロ・デュエットともに銅メダルを獲得。休養中に長野五輪招致に携わる。92年のバルセロナ五輪日本代表になるが、出場の機会を得ず引退。現在はスポーツコメンテーターや、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致アンバサダー」を務めるなど国際的に活動する一方、指導者として、スポーツクラブや大学などでシンクロの魅力を伝えている。
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