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食べ損ねた握り飯と祖母の3つの教え 大和ハウス会長大和ハウス工業会長 樋口武男氏(下)

2018/8/15
晩年の石橋オーナーに、10兆円企業への発展を誓った樋口武男会長
晩年の石橋オーナーに、10兆円企業への発展を誓った樋口武男会長

人生の転機で重大な決断を下したとき、「あれ」を食べていた。「あれ」を口にしたから、苦しい時代を乗り越えられた……。そんな経営者や識者の「出世メシ」の話題に耳を傾けよう。前回に引き続き、大和ハウス工業の樋口武男会長に聞く。

――売上高4兆円を目前にした大和ハウスを牽(けん)引する樋口会長ですが、子供時代はおばあちゃん子だったそうですね。

私は兵庫県尼崎市の出身です。子供のころは両親と父方の祖母、弟や妹と暮らしていました。明治生まれの祖母は厳しかったですね。4歳のある日、おねしょした布団を丸めて隠し、遊びに出たことがありました。隠し事が祖母に発覚し、私は納屋の柱に荒縄で縛られたのです。空腹のまま縛られている私をかわいそうに思った母が、握り飯をこっそり持ってきてくれました。それがまた祖母に見つかってしまった。結局、口にすることができなかった握り飯の鮮烈な思い出です。

そんな祖母の教えは(1)うそとごまかしはいけない(2)人に迷惑はかけない(3)闘ったら勝て――の3つでした。

こんなエピソードがあります。小学生のころ、中学生と喧嘩(けんか)して泣いて帰ったことがあります。祖母が負けた私に怒って、喧嘩の続きをしてこいと、家に入れてくれない。食事もとれない。仕方がないからもう一度出向くと、向こうの母親が出てきた。すると後を追ってきた祖母は「子供の喧嘩に親が出るな」と一喝。先方の母親が「そっちもやないの」とやり返してくると、「こっちは親とちゃう。ばあちゃんや」。これが実話だから、すごい祖母でした。

私が中学校に入学したころ、祖母は体調を崩すようになりました。ある日、私と弟を枕元に呼ぶと、唐突に「あと3日で死ぬ」。本当にその3日後に息をひきとったのです。火葬場で骨揚げをしたら、骨がぼろぼろに崩れてつかめないほど。苦しかったでしょうに、最期まで弱音をはきませんでした。

生前の祖母は非常に厳しい人でしたが、私には愛情も人一倍感じられたんですよ。祖母の3つの教えは今も、心に強く刻み込んでいます。

大和ハウス本社に残る石橋オーナーの執務室。樋口氏は毎朝、ここでオーナーにあいさつをする

――祖母の教えを守りながら、全力投球し続けるうちに、入社38年後の2001年には、大和ハウス社長に就くという”宿命”が待ち受けていました。この前後から、オーナー(大和ハウス創業者の石橋信夫氏、社長や会長を歴任)と、寝食をともにする日々が始ったとか。

00年のある日、関連会社の大和団地に転出して社長だった私は、オーナーから「樋口君、大和ハウスの非常勤取締役に就いておけ」と言われます。そこで大和団地の社長を続けたまま、大和ハウスの非常勤取締役になりました。後々、これが非常に重要な措置だったと気付かされるのです。

しばらくして、またもやオーナーから呼び出され、今度は「樋口君、大和ハウスと大和団地を合併させよう。大和ハウスに帰ってこい」。翌01年、大和ハウスは大和団地と合併し、私は新生・大和ハウスの社長に就くことになります。唐突な非常勤取締役の就任は、この布石だったのです。

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