
ーーさまざまな状況の変化にもすぐ適応して、前進していくタイプのようです。
確かに、逆境を肥やしにしていたところはあります。幸運もあるかな。だってそんな崇高な動機で吉野家に入ったわけじゃない。単にバイトの自給が高かったのと賄い飯がおいかったから。それだけで続いたみたい。そうしたら、こんなに勉強させてくれて、どんどんチャンスをくれて、ほんとありがたいです。
僕が72年に入社して80年までの8年間、吉野家は急成長しました。起きている間はすべて仕事。自分が成長している実感がありました。会社の成長期は、すなわち自らの成長期だったんですね。もっとも、会社が急成長しているときは、ほっておいてもモチベーションは上がるものです。規模が倍々に増えていくのを目の当たりにして、再来年はあのポストに何人必要になるといったことが目に見えます。インセンティブは確実にあるし、必然的に競争意識も高まります。
一方、80年代の再建時はその対極です。成長性最優先から、安全性最優先へとふれました。希望が輝いていて未来が見えていた会社から世の中で最も希望のない会社になってしまいました。借金返すための会社ですから。
再建初動の1、2年は正直、早くやめたいという心境でしたが、覚悟決めたからには少なくとも2年間は時間を捨てたと思って、落ち着くまでやろうと。会社の状況とは無関係に役割使命みたいなものを感じ、それにちゃんと向き合って全力で取り組むという性質はあったかもしれません。
こんなモチベーションのネタがないときに、自分のリーダーシップが醸成されたと思っています。勉強もステージアップも難しい時期に、新しい課題に挑戦できたのは、8年間のハードワークのたまものだったのではないでしょうか。
--吉野家の急成長期に創業者の松田さんからは、どんなことを学んだのでしょう。
オヤジから学んだことは多々あります。僕がまだ20代後半だったか、九州・四国地区の責任者として故郷の福岡に赴任していました。オヤジは毎月1泊2日でやってきます。車で営業管轄内をべったり案内しながら現況報告したりと、1日フルに接触していました。そういうときは地元の最高級の鶏の水炊き店などで、取引先のトップとの会合を持ちます。多くの高級店も経験しました。
この経験で勉強になったのが、飲食店経営というより、取引先との会話の間合いやら、オフィシャルトークやら、ネゴシエーションやら、普段はそんな抽象的な比喩を駆使する場面はなかったので、とても新鮮で面白かった。こういうことを伝えたい場合はこういう言い回しにするとか、こういう引用をするんだとか、ダイレクトにそのことに対する言葉を連ねることは決してやらないといったことを学びましたね。