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食のリーダー

倒産危機、創業夫人のカレーで耐えた 吉野家HD会長 吉野家ホールディングス会長 安部修仁氏(下)

2018/8/1

吉野家ホールディングス会長 安部修仁氏

 会社更生法適用後、吉野家を復活させ、1992年には社長に就任した安部氏。42歳の若さ、アルバイト出身、高卒……。話題には事欠かなかったが、実際リーダーシップはどのように醸成されたのか。(前回の記事は「ミスター牛丼、原点はバイトの賄い飯 吉野家HD会長 」)

 --原点はバイト時代の賄い飯の牛丼でした。吉野家の倒産の危機では、リーダーシップを発揮して乗り越えてこられましたが、苦しい時代も牛丼でしたか?

 いや、最も苦しかったとき、オヤジ(創業者の松田瑞穂元社長)がご自宅に呼んでくださり、奥様手作りのカレーライスをいただいたのが強烈な思い出となっています。どんな具材で辛さはどうだったかなどはまったく覚えていませんが、この先どうなるか分からないという状況たったので、おいしいんだけど、振る舞っていただいたことにただただありがたいとしみじみ思いました。

 その前年から店舗の海外展開に備え、駐在の準備のために米国の南イリノイ大学に語学留学していました。そんな折、突然の帰国命令。予定を3カ月早く切り上げました。吉野家はフリーズドライ肉で味が落ちたにもかかわらず、値上げをしたことで常連客が離れていったうえ、過剰投資による金利負担増で資金繰りが急速に悪化していました。

 大株主の不動産会社から幹部が吉野家に乗り込んできて、「松田社長には一線を引いてもらう」と。「進駐軍」に追いやられたオヤジは自宅に蟄居(ちっきょ)。松田派とされる僕も九州地区本部長から有楽町店の店長に降格させられました。

 いっしょに留学していた同僚2人と僕がくさっているという噂を聞きつけたのでしょ。「話があるからうちに来い」。実はオヤジのご自宅にうかがったのはこのときが初めて。公私をきっちり分ける人だったので、プライべートで会食もしたことはありませんでした。我々3人がうかがうと、「今は嵐が吹いているから私は出社できないが、戻る日は来る。だから我慢しろ」と。

 3人の仲間のうち1人はやめてしまいましたが、僕はなんとか踏みとどまった形です。大げさに言えば、このときオヤジのご自宅で奥様の手作りカレーを食べなければ、吉野家を辞めていたかもしれませんね。

 この後、ダイエーから支援話が出たものの、これも「進駐軍」の妨害に遭い、結局は会社更生法適用を東京地裁に申請し、受理されました。苦しい再建事業でしたが、顧客本位のおいしい牛丼を提供することで売り上げを回復させ、現場の店舗のやる気を取り戻し、再建に手応えを感じるようになります。知らず知らずのうちに吉野家再建の真ん中にいました。

 セゾングループの堤清二さんの事業管財人の就任を経て、83年の更生計画認可からその4年後には更生手続きを完了。そして92年、今度は大株主の西武百貨店が経営危機。従前であれば同社や西友から社長が送り込まれていましたが、もはやその余裕はありません。社長に就任しました。オヤジの奥様の手作りカレーを食べて吉野家にとどまってから、12年がたっていました。

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