進駐軍のサンドイッチで米国に憧れ 尾藤イサオさん食の履歴書

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1943年生まれ。小5で曲芸師に。18歳でロカビリー歌手としてデビューし「悲しき願い」(65年)「あしたのジョー」(70年)などがヒット。声優、ミュージカルでも活躍。9月5~7日、Theレビュー「カーテンコールをもう一度!2018」(EXシアター六本木)。 岡田真撮影
1943年生まれ。小5で曲芸師に。18歳でロカビリー歌手としてデビューし「悲しき願い」(65年)「あしたのジョー」(70年)などがヒット。声優、ミュージカルでも活躍。9月5~7日、Theレビュー「カーテンコールをもう一度!2018」(EXシアター六本木)。 岡田真撮影

両親を早くに亡くし、小学5年で曲芸師の道へ。初めて「食の豊かさ」に触れたのは進駐軍の基地だった。分厚いサンドイッチ。爽快なコーラ。やがて少年は海を渡るチャンスを得る。アメリカンフードは、ショービジネスに誘(いざな)うパスポートだった。

東京・御徒町で5人兄弟の末っ子として生まれた。父は百面相の名跡、3代目・松柳亭鶴枝。「ゆであがるタコを手拭い1本で演じる『タコのはっつあん』が得意。湯気が見えるようだったと聞いています」。その父は3歳の時に死去。母親は父の跡を継いだ長兄と舞台に立ち、たびたび地方巡業した。家族の面倒をみたのは一番上の姉だ。

■麦飯代わりにおからの弁当

ほどなく終戦を迎え、大黒柱のいない家族は困窮する。「麦飯の弁当ならいいほう。うちは、おからでした」。給食が始まっても給食費が払えない。ただ、貧しいなかでも姉は工夫し、育ち盛りの弟たちの空腹を満たした。

ごちそうは大根の葉入りのすいとん。夜には枕元にかりんとうを置き、遊びに出る時は乾パンをひもで結び首にかけてくれた。氷砂糖と重曹を火鉢にかけ、カルメ焼きを膨らませてみせた。たとえ質素でも、家族のつながりを再確認できるしるし。それが少年期の食の記憶だ。

小4の時には母が他界。奉公に出るのを嫌がった次男の代わりに曲芸師、鏡味小鉄の内弟子に入った。皿やナイフの投げ物。積み上げた茶わんを棒に乗せてバランスをとるたて物。わずか3カ月で基本技を身につけ、小6の7月に初舞台を踏んだ。会場は東京駅のそば、進駐軍の将校が集うオフィサーズクラブ。スポットライトがまぶしく、投げた皿を次々落とした。拾い集めては懸命に投げる少年に観客は拍手喝采した。

■アメリカの食の豊かさに衝撃

その日、西洋の軽食やコーラがふるまわれた。初めて目にする食の光景、力強い異国の味に心を奪われた。圧巻がサンドイッチ。「チーズやハムがはさまって、ドカーンと。見たこともないふかふかのパン。横にはおっきなフライドポテト。アメリカの豊かさの象徴でした」。夢中で食べた。師匠の妻に持ち帰ると、大いに喜ばれた。

一座は東京の府中や横田などの米軍キャンプを回った。胸躍らせて新宿からトラックやバスに乗る。基地の中ではドクターペッパーを飲み、観客からハーシーのチョコレートやリグレーのチューインガムがもらえた。食べ物で刷り込まれたアメリカの文化への憧れが日々募った。

ある日、そば屋のラジオから流れる音楽を耳にして、思わず身震いした。なんとすてきな歌声。「これは一体何だ?」。エルビス・プレスリーが歌う「ハートブレイク・ホテル」だった。たちまち熱烈なファンに。級友の家でレコードを貪り聴き、ほうきの「エアギター」で本人になりきった。日本にロカビリー・ブームが押し寄せ始めた、まさにその時だった。

以来、衣装は紋付きはかまでなく細いマンボズボン。プレスリーの「監獄ロック」をかけながら演じるロカビリー曲芸を考案し、一躍、人気者に。「学校に行くより、仕事がどれだけ楽しかったか」。奉公6年目、一座は1年間の米国巡業に招かれた。

皿回しのように、生地を回しながら上へ放るピザ作りの姿に驚き、ステーキやハンバーガーを堪能した。目にするもの全てがエンターテインメント。1日1ドルの出演料をためて、姉に送金する一方、映画やライブを見て回った。

やがて見たサミー・デイビス・ジュニアの舞台。歌ありタップあり拳銃アクションあり。「僕がやりたいのはこれだ」。進路が決まった。帰国して独立の許しを得たその日に「曲芸をやめます。プレスリーになりたい」と宣言し師匠を驚かせた。歌やタップを勉強して歌手デビュー。1965年「悲しき願い」が大ヒットし、66年のビートルズ日本公演の舞台にも上がった。

成功し家族で食べた出前の寿司

成功し、憧れの洋食を存分に楽しめる身分にはなった。ところが米国から帰国後は、すっかり和食派になってしまった。歌手として初めてもらった給料では寿司の出前を取り、家族で食べた。「毎月、こんな風に食べられたらいいなあ、と思った」

横文字の印象が強く、ファンからもナイフとフォークの食事を期待される。「好きなのは焼き鳥と日本酒というと、がっかりするみたい」。食の嗜好の根っこは別のところにある。貧しくとも絆を実感できた日々。「日本のプレスリー」の原点は「やっぱり、おからなんですよ」。

「いろは鮨」の(上から時計回りに)アユの一夜干し、煮ハマグリの握り、シンコの握り、中トロの握り(東京都杉並区)

■ぱりっ アユの一夜干し

東京・杉並の浜田山にある、いろは鮨(ずし)(電話03・3313・6770、要予約)に40年通う。「包丁の入れ方が絶妙なマグロや江戸前の煮はまぐり。握りも凝ったつまみもおいしい」。年中作る自家製干物はこの時期、アユの一夜干し(864円)が登場。肝を溶いた漬け汁に漬けて風干しし、ぱりっと焼き上げる。香ばしく上品な人気料理だ。

店主の内島昌義さんとはよく飲み、語る「兄弟みたいな仲」。昌義さんの妻、新子さんの手料理の大ファンでもあり「賄いに入り、カツ丼やおかずを食べさせてもらう」。内島さん夫妻は毎年、尾藤さんのライブに行くのが楽しみ。「『商売は堅実でいきなよ』と言ってくれたおかげで今がある。いつもダジャレで笑わせてくれるけど、実はまじめ。苦労しても決して泣き言を言わない人」(昌義さん)

■最後の晩餐

ソース焼きそばとご飯。レンジでチンするものでもいいけど、僕はスーパーの冷凍焼きそば派。具なんてなくていい。味が付いているところにさらに、とんかつソースかウスターソースで味を濃くして白いご飯と食べる。炭水化物同士だけど、おいしいのよ。

(編集委員 松本和佳)

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