レム睡眠は脳の自由時間 究極の仮想現実を体験?
空を飛び、真っ逆さまに転落する――人が夢を見るのが「レム睡眠」。レム睡眠の最中、私たちは文字通り正気を失っている。夢を見ているとき、人間は幻覚や妄想を抱いているような状態になっていると考える睡眠科学者もいる。ナショナル ジオグラフィック2018年8月号の特集は「現代人の睡眠」だ。5段階ある睡眠の各ステージを最新研究でわかったことをふまえて解説している。ここでは、レム睡眠を取り上げ、人が夢を見る理由に迫ってみよう。
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レム睡眠は、5段階ある睡眠の最終段階だ。1953年米シカゴ大学のユージン・アセリンスキーとナサニエル・クライトマンが発見し、英語のRapid Eye Movement(急速眼球運動)の頭文字をとってREM(レム)と名付けられた。
当初レム睡眠は、あまり重要でないと考えられていた。当時の脳波計ではレム睡眠時に特徴的な波形が捉えられなかったためだ。その後、眼球のせわしない動きと、それに伴う性器の充血が記録されたことで、鮮明な夢はほぼすべてこの段階で見ていることがわかった。当時の睡眠科学の常識が覆された画期的な発見だった。
健全な睡眠では通常、第4段階まで一気に進んだ後、眠りが急に浅くなり、5分から20分程度のレム睡眠に入る。
一晩の睡眠に占めるレム睡眠の割合は、成人で2割程度。全体の8割を占める第1段階から第4段階までの睡眠はノンレム睡眠、つまり「レムではない」睡眠と呼ばれる。
レム睡眠中はずっと夢を見ている
ノンレム睡眠からレム睡眠に入る一連のサイクルは、心身の回復に最適な状態になっていると、睡眠科学者たちは考えている。細胞レベルで見ると、レム睡眠時にタンパク質の合成がピークに達して、体が正常に機能するように維持される。レム睡眠は気分の調節と記憶の統合にも不可欠だとみられている。
夢を見ているときの脳の活動は脳の深部で起きているため、脳波計ではうまく記録できないが、今では新しい技術が開発されて、脳内の物理的、化学的な変化を推測できるようになった。
夢はレム睡眠の間はほぼずっと続く。つまり、一晩に2時間くらいは夢を見ているということだ。ただし、高齢になるにつれて、この時間は減る。新生児は1日に最高で17時間も眠り、そのおよそ半分ではレム睡眠時のように脳が活発に働いている。
レム睡眠中は体温調節が行われず、深部体温は最低まで下がったままだ。ノンレム睡眠中に比べ、心拍数は増え、呼吸は乱れがちになる。目、耳、心臓、横隔膜などを除き、筋肉は動かない。
究極の仮想現実!?
レム睡眠を経験するたびに、私たちは文字通り正気を失っている。夢を見ているとき、人間は幻覚や妄想を抱いているような状態になると考える睡眠科学者もいる。現実にないものを見ていると思い込み、時間や場所や人物が突然変わっても、おかしいとは思わない。
ありえないことを信じるのは、レム睡眠中には論理的思考の中枢や衝動を抑制する領域から、脳の統率権が奪われるためだ。2種類の化学物質、セロトニンとノルエピネフリンの分泌が完全に遮断される。この二つはニューロンの情報伝達を支える重要な神経伝達物質で、その供給が止まると、学習や記憶の能力は大幅に低下する。つまり、脳は覚醒時とは化学的に異なる状態になっている。
レム睡眠を支配するのは脳の深部にある本能をつかさどる辺縁系だ。性衝動や攻撃性、恐怖、さらには高揚感や喜び、愛が生まれる領域でもある。さらにその下の脳幹には、橋(きょう)と呼ばれるふくらみがあり、レム睡眠中にはこの部位が大活躍する。橋から目と耳の筋肉を制御する脳領域に電気信号がしばしば送られ、まぶたを閉じたままで、眼球がめまぐるしく動く。これは夢の強烈なイメージに反応した動きと考えられている。夢を見ている間は耳も活発に働いている。
感情の内容は男女であまり差がないようだ。性的な夢でなくても、夢を見ているときには、男性は勃起し、女性も膣が充血する。そして、どんなに荒唐無稽な夢を見ていても、私たちはほぼ常に自分が目覚めていると思い込んでいる。究極の仮想現実(VR)を生むシステムは自分の脳内にあるのだ。
人間が最も創造的で自由になれる時間
レム睡眠中には体が動かなくなる。夢を見ているとき、脳の運動中枢が体を動かそうとする一方で、脳からの信号を受けて筋肉にその指令を伝える運動ニューロンのゲートが、脳幹からの抑制信号によって閉ざされているためだ。
覚醒を促す効果があるのは日光だ。目の網膜が閉じたまぶたを通して光を感じると、脳の深部に位置する視交叉上核(しこうさじょうかく)という部位に信号が伝わる。たいていはこれを合図に最後の夢が消え、私たちは目を開けて、現実の生活へと戻っていく。
レム睡眠にまつわる最も驚くべき発見は、感覚情報が断ち切られても、脳が自律的に働くとわかったことかもしれない。レム睡眠は、いわば脳の遊びの時間だ。見方によっては、レム睡眠は人間が最も知的で、洞察力に富み、創造的で自由になれる時間ともいえる。それはまさしく生の実感にあふれた時間だ。「レム睡眠は私たちを最も人間らしくするものかもしれません」とペンシルベニア大学のパーリスは言う。
なぜ人間は眠るのか。レム睡眠について知ると、この問いかけ自体が間違っていたのかもしれないと思う。実は、起きているのは、食べる、子孫を残す、天敵と戦うといった、生存に必要な務めをさっさと済ませ、ぐっすり眠るためなのかもしれない。
(文 マイケル・フィンケル、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2018年8月号の記事を再構成]
[参考]ナショナル ジオグラフィック8月号では、ここに抜粋した特集「現代人の睡眠」のほか、毒殺される野生動物、チョウを捕まえる人々、美しい写真でお届けする「インコとオウム 人気者の苦境」、内戦で医療が崩壊したイエメンのルポルタージュ「行き場のない患者たち」、などを掲載しています。
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