5300年前の「アイスマン」 最後の晩餐がついに判明
アイスマン――1991年にエッツタール・アルプスの氷河で見つかった「エッツィ」と呼ばれる5300年前のミイラのことだ。これまでアイスマンが山に入ったのは、追っ手から逃れるためだという説が有力だったが、学術誌「カレントバイオロジー」2018年7月12日号に、アイスマンは食料の準備をして自ら山に入ったことを伺わせる論文が掲載された。
論文の内容は、アイスマンの胃の内容物を分析した結果だ。胃には、乾燥させたアイベックスの肉と脂肪、アカシカ、ヒトツブコムギ、シダ類が、残っていた。発見から30年近く、これまで胃の内容物分析されていなかったのは、ミイラの胃がどこにあるのか分からなかったためだという。
これまで髪や結腸の内容物で食べ物を推察
90年代終わり、当時の技術ではエッツィの胃が見つからなかったため、研究者たちはエッツィの毛髪の窒素同位体を調べることで、食生活を知ろうと考えていた。そこで得られた見解は、アイスマンはベジタリアンだったというものだ。後年、結腸の内容物が分析され、エッツィは雑食だったと指摘された。また、死ぬ前の1日に、穀物だけでなく、アカシカとヤギの肉も食べていたことがわかったのだ。
最新の研究で科学者たちが試みたのは、アイスマンの最後の食事を正確に突き止めることだった。そのためには、胃を見つけ、胃の内容物のサンプルを取る必要があった。
本来の場所にない胃を見つけるため、研究チームはエッツィの胆石を調べた。胆石は胆のうに形成されるが、それは肝臓の下、胃の近くにある。X線画像に写った胆石から周囲の器官の位置も推定することで、ようやく胃を発見した。
しかし、難題は続く。アイスマンは、微生物から守るためにマイナス6度という低温に保たれている。その胃から内容物を採取するには、まず解凍しなければならない。チームは内視鏡を使って、胃と腸から黄褐色の物質を11個採取した。
腸内の残留物が消化されていて特定が難しい一方、胃の残留物はもろいものの、フリーズドライのような状態だったと、論文著者のフランク・マイクスナー氏は説明する。「本当に、見た目からして興味深いものでした」と話す。同氏は、イタリア、ボルツァーノにあるミイラ・アイスマン研究所の微生物学者だ。
研究チームは、まず胃の内容物を拡大してのぞき込んだ。「雑食生活だったことは、顕微鏡を見てすぐにわかりました」とマイクスナー氏は言う。サンプルには植物や肉の未消化の繊維の小片が見え、雲のようにぼんやりと見える脂肪に包まれていた。その後、チームはDNA、タンパク質、脂質、代謝産物など多くの検査に取りかかった。
アイスマンが最後に食べたもの
脂質とタンパク質分析から、エッツィがアイベックス(アルプスに生息するヤギ科の動物)の肉だけでなく脂肪も食べていたことがわかった。胃の内容物が高脂肪だったのは、エネルギーを大量に消費する山歩きを支えるためだったのだろう。「アイベックスの脂肪はひどい味だと思いますよ」と、マイクスナー氏は冗談を言った。
不思議な点もあった。DNA分析ではアカシカも食事の一部と考えられたが、シカのどの部位を食べたのか、研究者たちは特定できなかった。可能性があるのは、脾臓、肝臓、脳などだ。「この特定はかなり困難です」とマイクスナー氏は言う。
肉の調理については手がかりが得られた。研究チームは肉の化学的な性質と構造を調べ、生肉や現代の調理済の肉と比較。エッツィの胃の肉は60℃以上に加熱されてはいないと推定した。マイクスナー氏によれば、新鮮な肉はすぐに傷むため、肉は長期間もつように乾燥されていた可能性が高いという。また、炭素の斑点があることから、肉は薫製にされていた可能性もある。
さらにエッツィはヒトツブコムギと、有毒なワラビ属の植物を食べていたことも判明した。このワラビを大量に摂ると、ウシは貧血を起こし、ヒツジであれば失明を引き起こすことがわかっている。また発がん性も指摘されている。しかし、現在でも、少量であれば、このワラビを食べる人は一部にいる。
エッツィもワラビを食べていたかもしれない。「ひょっとすると、ワラビを食べることで胃痛を抑えていたのかもしれません。彼の胃が菌に冒され、おそらく痛みに悩まされていたことを私たちは知っていますから」とマイクスナー氏は話したが、「ただ、この仮説は考えすぎですね」と付け加えた[注]。もう一つ可能性もある。エッツィが食料をワラビで包んでいたのではないかということだ。それで、軽食と一緒にワラビの一部も偶然口に入ったというものだ。この説は以前、エッツイが苔を食べていた理由として出されたものだ。
[注]以前の研究で、アイスマンの胃の中からピロリ菌が発見されている。
追われて山に逃げたのではない
胃の残留物からわかるのは、5300年前も、繊維、タンパク質、エネルギー豊富な多量の脂肪という、実によく考えられた食事をしていたということだ。「彼らは既に、衣類や狩猟道具を目的に合わせて作る知識を持っていました。これは食事にも当てはまるのです」とマイクスナー氏は言う。「アイスマンが食べたものが、元々準備された食料であったことは明白です」
ほんの少しの胃の内容物からでも、エッツィの最後の数時間の様子が驚くほど詳しくわかる。「今回の成果は、本当にずば抜けたもので、そうそうない大発見だと思います」と話すのは、米ノースウェスタン大学の生物人類学者で、今回の研究には関わっていないキャサリン・ライアン・アマート氏だ。
アマート氏は、これまで間接的な方法でアイスマンの食生活を調べるほかなかったことを見てきた。それだけに、今回、直接、胃の内容物を調べられたことに対して「本当に興奮する」と語る。「今回の研究によって、より細部まで理解し、より詳しい議論ができるようになるでしょう」とアマート氏。
一方で、エッツィがどうして山中で息絶えたのかについて、まだ結論は出ていない。体についたたくさんの新しい傷は、激しく争ったときにできたもので、エッツィは追っ手から逃れて山に駆け込んだという意見もその一つだ。しかしマイクスナー氏は、最後の食事からわかるストーリーは少し違うと言う。「私の個人的な意見ですが、エッツイは最初から山に入る支度をしていたと思います」とマイクスナー氏は語る。
穀物と肉がそろった食事、そしてシカ皮の矢筒に残った未使用の2本の矢は、エッツィが山に逃げ込み、やむなく獲物を狩って食べて、しばらく後に死んだのではないことを物語っている。彼が死の数時間前に食べたのは、マイクスナー氏が言うところの「念入りに用意された食料の詰め合わせ」だったようだ。
(文 MAYA WEI-HAAS、訳 高野夏美、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2018年7月17日付]
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