倒産の危機、BSE(牛海綿状脳症)問題など数々の困難に立ち向かい、リーダーシップを発揮し、吉野家の看板を守り続けた安部修仁氏。「食のリーダー」の初回は、牛丼の単品経営にとことんこだわり、「ミスター牛丼」と称賛された安部氏に、牛丼への思いについて聞いた。
--ミスター牛丼として、牛丼に全力投球されてきました。あらためて振り返ってみて思いをお聞かせください。
みなさんは僕のことを「ミスター牛丼」と呼んでくれるけど、僕じゃないですよ。真の「ミスター牛丼」はオヤジ(創業者の松田瑞穂元社長)です。オヤジはどこを切っても、どこまでも、牛丼でした。オヤジがつくった牛丼のレシピ、食材調達、価格戦略、店舗サービス、店舗設計、店舗展開、とにかくオヤジはすごかった……。
吉野家の牛丼に初めて出合ったのは、音楽で身を立てたいと思い、故郷の福岡を後にし、18歳で上京してからです。このころの食の思い出は、初めて東京で食べたラーメンとうどんのまずさかな。今は大好きなんですよ。でも、当時は「なんで、しょうゆをお湯で薄めたみたいなのを出すのかなあ」って。博多のとんこつラーメン以外食べたことがなければ、こう思っちゃいますよね。
一方で、おいしいと思ったのは、すしとそば。そばは初めて本格的なものを食べました。九州のそばは小麦粉でつないだような粗末なそばしかなかったから。いや、九州にもおいしいそばを出す高級店はあったのでしょうけれど、縁がなかった。江戸前ずしのまともなものも、福岡では食べたことがありませんでした。おふくろが料理上手だったから我が家でもすしはよくつくりましたが、大きなおけいっぱいにつくる五目ずしや巻きずし。握りずしはすし店にいかないと食べられないもの。18歳まで立ちずしの店なんて行けませんでしたからね。
すしはこんなにうまいのか、そばってこんなにうまいのかって感激しました。そこで時給が高いという動機だけでアルバイトを始めた吉野家で牛丼に初めて巡り合って、こんなにうまいものがあるのか、東京にはそばやすし以外にもうまいものがあるんだなあと思いました。賄いで出てくるのはもちろん牛丼です。その牛丼を食べるのが待ち遠しくてね、毎日一生懸命仕事をしました。
それまでに、牛めしみたいなものは食べたことがありました。バンドをやっていたころで、池袋あたりだったか。でも、繊維が崩れきった肉と糸こんにゃくをまぜたようなものだったから、しっかりした肉、おいしいフレーバーの牛丼というものは初めて。感動しました。