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日本ウイスキーとともに育った「赤玉」、学者が支える

「世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(21)」

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本格的な日本ウイスキー確立に取り組む鳥井信治郎は苦しい経営の中、様々な習作をつくりながら原酒の熟成をひたすら待つ。

12年物原酒をレシピに入れて満を持して世に問うたのが、「サントリーウヰスキー12年」であった。後にサントリーの救世主となる、いわゆる「角瓶」の誕生である。1937(昭和12)年、信治郎58歳の秋であった。

信治郎は樽(たる)貯蔵には主にシェリー樽を使っていた。シェリー樽は通常スペイン産のナラを使うが、その材から出てくるタンニンの影響で、レーズンやチョコレートの味がする。この味わいは熟成の進行とともにスモーキーを和らげる。また、山崎の水と自然環境は山崎原酒に心地よい甘味ももたらす。こうして日本ウイスキーのベストセラーが山崎原酒から誕生した。「角瓶」と呼ばれるようになったこの製品で信治郎はウイスキー事業の愁眉を開いた。信治郎が信じた樽熟成と選びに選んで決断した山崎の風土が応えてくれた。

スコッチウイスキーは、フランスとの長い同盟関係がスコットランドにもたらした豊富なフランスワインの味わいを意識してつくられてきた。信治郎はスコットランドから遠く離れた日本で、自ら起こしたワイン事業でワインを学んだ。この経験が、新生鳥井ウイスキーのブレンドや品質進化にどれほど役立ったかを神仏に感謝したに違いない。

「角瓶」で危機を脱するまで、日本ウイスキーの自立への道は困難の連続だった。赤玉ワインからの利益はあったものの、キャッシュを生まないウイスキーを支えるために山崎稼働開始のころから始めた様々な製品の販売で日銭を生み出す取り組みは涙ぐましいものがあった。歯磨き粉、カレー粉、コショー、しょうゆ、ソース、紅茶、ジュース、ビール…。そして、1931(昭和6)年、「白札」発売以降も歯を食いしばって仕込んできたウイスキーが全く売れない状況にあって、資金不足でウイスキーの仕込みができない事態が生じる。信治郎は思い切った手を2つ打つ。1つは事業選択と集中、そしてもう1つは大黒柱「赤玉」の中身設計変更である。

選択と集中。信治郎が行ったのは、当然ながらワインとウイスキーへの集中であった。目玉はビール事業と歯磨き事業の売却だった。好調にもかからず、スモカ歯磨を1932(昭和7)年に売却。オラガビールで気を吐いていたビール部門は1934(昭和9)年に横浜工場を東京麦酒に売り渡した。この麦酒工場売却で得た金額は360万円であったと言われている。現在に換算すると72億円程度にあたる。

大黒柱「赤玉」の中身設計変更は驚天動地のことである。赤玉ポートワインに使われている原料ワインを国産にするという。1907年に28歳で赤玉ポートワインを世に出した信治郎は、神戸のスペイン人貿易商セレスから原料として仕入れ始めたスペイン産赤ワインに加えて、その後はチリなどヨーロッパ以外からも海外調達しており、1932年当時の仕入れ金額は毎年150万円に上っていた。戦争の足音が近付いてきて調達リスクが高まるといっても、利益が出ていないウイスキー事業を抱えた信治郎にとっては命を掛けた決断であったに違いない。

国産本格ワインの生産は大久保利通の意を受けた明治新政府農商務省の重点課題の1つであった。ヨーロッパから持ち込んだワイン用ブドウ品種の育成のため、官立のブドウ園が兵庫県の加古郡に、育種場が東京・三田に設けられた。山梨県では県令藤村紫朗の熱心な支援の下、地元の事業者が精力的に実用化に取り組んだ。

輸入した苗がフィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)に感染していたことなどもあって、ワイン用ブドウ品種による本格ワイン生産は、1930年当時はまだ赤玉をまかなえるほどの規模には到達していなかった。

信治郎が白羽の矢を立てたのは、東京帝大農学部農芸化学科助教授の坂口謹一郎であった。1932年、坂口を訪ね「原料の生ブドウ酒を海外から仕入れるのはお国のためによくない。是非国産の生ブドウ酒を自分の手で造りたいと思うので、どうか指導してください」と頼んだ。

坂口は当時、自分の研究で忙しく、「総長の命令でもあれば仕方がありませんが」というような受け答えをした。それに対し、信治郎は東大総長小野塚喜平次に公式文書で請願したか、または直接面会するかして総長の許可をもらい、坂口からブドウ栽培とワイン醸造についての直接指導を受けられるようにしたのだった。

坂口が信治郎にまず話したのは、ワインづくりはすなわちブドウづくりで、良いブドウができなければどんなに醸造技術が進んでも何の役にも立たない、ということだった。そして日本のワイン用ブドウの第一人者だが、積年の研究への自己資産投入で困窮していた「日本ワインぶどうの父」、川上善兵衛を信治郎に紹介した。信治郎は善兵衛の負債を全て肩代わりしただけでなく、研究継続に必要な資金も拠出した。

膨大な量の赤玉用ワイン原酒の生産は、善兵衛の岩の原ブドウ園だけでは到底足りず、1934年、国税局が差し押さえていた山梨県北巨摩郡登美村の農園を坂口の紹介で買収した。現在のサントリー登美の丘ワイナリーである。岩の原の23ヘクタールに対し、登美は150ヘクタールと6.5倍の広さを持っていた。この農園には、川上品種の代表作ブラック・クィーン、マスカット・ベーリーA、マスカット・ベーリーB、ローズ・シオター、ベーリー・アリカントA、レッド・ミルレンニウム、川上2号などが植えられた。一部の品種は今日でも栽培され続けている。

坂口と善兵衛という、ウイスキーとは一見無関係な2人について書いたのは、日本ウイスキーの本質を知ってほしいからである。もちろん、鳥井信治郎という人物がいなかったなら、日本ウイスキーは今日の姿には到達していなかったに違いない。

信治郎の求め続けたのは、日本の自然、風土、文化がつくりだす味わいであった。その思いが強まったのは、彼がワインという西洋の酒の製造、販売を生業としたからであっただろう。日本になかったものを創造し、売り、消費してもらう。つくり手も飲み手も経験と言えるものはほとんどなく、全くの手探りで品質をつくり込んでいく。自らあんばいし、おいしさを見いだし、形にする。買い手の嗜好を把握し、掘り下げ、より深い満足感へと導く。

産業として定着する前の初期の段階では、外部の知識や技術や知恵にも助けてもらわなければならない。そのためには、今のビジネスマンとは比較にならないほどの知己、人脈を持っていたのではないかと思う。

坂口研究室は、山梨のワイナリーで使うワイン用酵母の優良株を分離して、供給したほか、様々な技術課題の解決の労を担ってくれた。坂口は最晩年までサントリーの顧問を務めていた。

小学校卒業後、2年間大阪商業学校で学んだ信治郎であったが、坂口はじめその道の碩(せき)学を知己に持っていたのは、信治郎自身の人柄にあったことは想像に難くない。私が昔、会社の大先輩からよく聴いたのは、疑問に思うことはその道の専門家に徹底的に話を聞き、納得するまで解決の道を探った、とか、海外から業界誌や専門誌を取り寄せ、訳させ、最新の知識を持っていた、という話である。

真理は案外シンプルで、それを分かり易く説明できるのが専門家だったのだろう。信治郎はそのことをよく知っていた。

工部大学校は東京大学工芸学部と合併して消滅したが、工部大学校でスコットランド人脈の教師達が教えた「エンジニアの思想」とそれに基づく技術者、研究者の真理探究への義務感は脈々と受け継がれ、ワインやウイスキーにまで波及したのである。維新後、わずか20年で産業革命に着手し、その後20年で成し遂げた当時の日本の姿が浮かび上がる。

ワイン、ウイスキーの開発には、坂口の東大始め、京大、阪大という当時の日本の頭脳を呼び集めていたことも信治郎のスタイルの特徴である。つまり、日本の知力を総動員して洋酒分野でつくり上げたのが日本のウイスキーであり、ワインなのだ。特にウイスキーは、政府の支援は皆無で、信治郎がその人脈を通じて技術蓄積していった。日本のウイスキーがいかに模倣とは隔絶したものか再認識する必要がある。

今回は日本ウイスキーの故郷、出発点、山崎蒸溜所のウイスキーを紹介したい。

「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」を少し濃いめの水割りで。

1986年10月、白州蒸溜所から本社生産部に転勤となった私は、この蒸溜所の品質開発プロジェクトの事務局員になった。通った山崎蒸溜所は長い歴史と風土と多くのエピソードを持っていた。

そして、山崎原酒の特質を目の当たりにする機会が訪れた。京料理を食べながら「山崎12年」を飲んだ時であった。料理のうま味が「山崎12年」でさらに増幅されるのである。相性がよいということだ。同じ感動を大阪の割烹(かっぽう)でも経験をした。割烹の割に秀でた大阪と烹に秀でた京都の料理法が一体化した日本の料理スタイル、割烹。この山崎原酒を育んだ様々な知恵や技、そして自然環境。それに加えて、関西の食文化を持った鳥井信治郎の手塩に掛けた作品が山崎原酒だということを実感した。山崎の地が日本で最初のウイスキーに与えた祝福がなければ日本ウイスキーは今日の姿に至ることはなかったに違いないと思った。

「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」は現チーフブレンダー福與伸二が設計した。新たなチャレンジがなされた、新世代の息吹に満ちた味わいを持っている。

山崎蒸溜所の伝統であるミズナラ樽貯蔵モルトと、革新のワイン樽貯蔵モルトをはじめとした様々な山崎蒸溜所のモルトが出会うことで生まれた。やわらかく華やかな香りに潜むイチゴのような香りはワイン樽熟成原酒がもたらし、甘くきらめくような、なめらかな広がりはミズナラ樽熟成原酒が加わることによって生まれる。

蜂蜜、広がりを感じる甘み、バニラ、シナモン、なめらかな口あたりときれいで心地よい余韻。「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」の持つこの甘みは、和食との相性に大きな役割を果たしている。刺し身でも焼き物でも煮物でも、相性は抜群だ。 

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)

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