著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は弁護士の菊間千乃さんだ。
――お父さんは八王子実践高校女子バレーボール部の名監督として采配を振るわれた菊間崇祠さんですね。
「父の信念をひと言で言えば『為せば成る』です。バレー部の合宿所に泊まり込んで週に1度、日曜の夜しか自宅に帰って来ず、会話もあまりありませんでしたが尊敬していました。私の生き方や職業選択への影響はとても大きかったのです」
「前職のフジテレビアナウンサーになろうと考えた原点も父でした。小学生の時、春の高校バレーで全国優勝した父が、アナウンサーにインタビューされている姿を見たのです。私も父にインタビューしたい! そんな考えが浮かび、以来、フジのアナウンサーめがけ一直線でした」
「当時は大学3、4年と2回アナウンサー試験を受けられたのですが、ミスコンテストの優勝者のような方々に容姿でかなうはずもなく、私の主戦場はフリートークだと狙いを定めました。実はここでも父に感謝なのです。学生だった私に父は非常に厳しく、長電話をすれば電話線を切るし、門限に遅れた私を、自宅前で待ち構えていたところ警察に職務質問をされるなど、エピソードに事欠かないのです。名将という評価と違う父の姿を面白おかしくネタに使わせていただきました」
――司法試験受験という転換点でも相談をしたのですか。
「進路を両親に相談したことはありません。入社時から10年たったら司法試験に挑戦すると決めていました。当時の女性アナウンサーは20代でフリーになったり、結婚して引退したりする方ばかりで、30を過ぎて活躍するためには、自分にしかない武器が必要と考えたからです。ちょうど入社9年がたった頃ロースクール制度が誕生。働きながら通える夜間メインのコースもあり、勉強を始めました」
「2年から大宮法科大学院大学の近くに引っ越したので、合格までほとんど実家に戻らず、父とも2年間ぐらい会っていなかったと思います。監督の父を取材していたフジの先輩から合格後に聞いたことですが、父は『様子はわからないが、あいつは絶対やり遂げる』と話してくれていたそうです」
――弁護士の菊間さんをどう思っているのでしょう。
「実は父の出身大学は中央大学法学部なのです。経済的に大変だったと聞いていますが、当時の中央大で司法試験受験を考えなかったことはないでしょう。だから、私が法曹に進んだことをとても喜んでいます」
「実際の会話は少なくても、小さい頃から自分らしく考えて、何か新しいことをするたび父が『おまえはすごい』とほめてくれたことが、ずっと私の力になりました。あの家族に生まれて良かったと心底思います」
[日本経済新聞夕刊2018年7月17日付]
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