うまいペペロンチーノを作りたい 書斎派求道者の挑戦
男のパスタ道(1)
「えっ、オリーブオイルを使うなだって!? シンプルだからこそ奥深い、ペペロンチーノの世界。パスタの選び方、塩の必要量、ゆで時間、ニンニクの切り方、塩と油の使い方……。究極の一品をつくる思考を身につければ、どんな料理にも応用できる。日本経済新聞出版社の新書、日経プレミアシリーズ『男のパスタ道』から4回にわたり、絶品ペペロンチーノの作り方をお伝えする
おいしいパスタを作りたい。その一念だけでこの本を書いた。
パスタを作るひとつひとつの工程を検証して、最善の方法を探る。それを積み重ねることで、とびきりのパスタを完成させる。これが本書の目的だ。
おそらくもっとも重要なのは、パスタをどうゆでるべきか、ということだ。あらゆるパスタ料理に共通する工程であり、料理本・雑誌やインターネット上には、実にさまざまなアドバイスがあふれている。ただし、ゆで汁に塩をたっぷり入れろ、いや入れなくてもいい。塩は水が沸騰してから入れろ、いや最初に入れるんだ。岩塩を使え、いや海塩だ……。相反する意見が並び、正解を見つけるのは難しい。
私も以前、オールアバウトという生活情報サイトで「塩を入れないでパスタをゆでるとどうなるかという記事を書いたがこれは非常にたくさんの人に読んでいただいた。「パスタと塩」問題に関心を持ち、正解を求める人は多いのだ。
塩がパスタのコシを生む、という解説もよく見かける。理由として挙げられるのは、「塩を入れると沸点が上がるから」「塩がパスタのグルテンを引き締めるから」など、さまざまである。しかしよく考えると、沸点は何度上がり、それがどういう形でパスタに影響を与えるのか?グルテンはどんな性格を持っていて、具体的にどう「引き締められる」のか?分からないことだらけだ。
さらに突き詰めれば、そもそもパスタの「コシ」とはどういう状態を指すのか、という当然の疑問に至る。それで気づいたのは、コシという言葉をきちんと定義したうえで使っている人がほとんどいないという事実だった。
我々はどういう状態のパスタをおいしいと感じ、それはなぜなのかそこまでさかのぼって納得したい。となると、パスタの原料である小麦の特性、パスタの製法、小麦の成分の熱変性まで、あらゆることを自分で調べざるをえない。
本書の執筆をはじめてから、私はちょっと自虐的に「書斎派パスタ求道者」を名乗っている。家にこもり、さまざまな文献・論文を読み、理解したことをもとに仮説を立て、キッチンで実験し、試食し、調理法を改善し、疑問が生じればさらに論文をあさる。こうしたことを延々と行っていたからだ。
はたから見れば、どうでもいいような実験をくり返している。塩の量でパスタの歯ごたえがどう変わるか、という実験はもちろん、パスタを水からゆでるとどうなるか?電子レンジでチンは無理なのか?スパゲティなどのロングパスタはどうの程度の長さが食べやすいのか?昔の南イタリア庶民のようにパスタを手で食べるとどんな気持ちがするのか?など、おそらく世のパスタ好きでもやっていないような奇妙な実験もやっている。
しかし、いくつかの実験からは大きな収穫もあった。
例えば、パスタの原料であるデュラム小麦からタンパク質とデンプンを取りだして、それぞれゆで、何が起きているのかを観察した。その過程で、麺の食感について、そしてコシとアルデンテの違いについて明確に再定義できた。
ゆでるという行為ひとつとっても、それを理解するには科学的なアプローチが不可欠だ。実験をくり返すなかで、インターネット上の記述だけでなく、パスタに関する本やプロであるシェフたちの解説にも間違いが多く、料理の世界がいまもさまざまな迷信にとらわれていることを思い知った(加えて言えば、私自身が過去に書いたインターネット上の記事にも、訂正・加筆が必要なことが判明した)。
この本には、既存の「パスタ本」に載っていないことが、たくさん書いてある。特に最後に記したペペロンチーノのレシピは、これまで書かれてきたものとはまったく違う新しいものであると自負している。
ゆで方についても、ものすごく細かな部分までいちいち検証することで、多くの迷信を吹き飛ばすことができたと思う。まだ、仮説の部分もあり、精度の高い機械で専門家によって検証してもらう必要はあるが、パスタ愛好家同士のさまざまな議論に対する最終回答に近いところまでいったのではないだろうか。
ただし、なにしろ実験環境は家のキッチンである。結果がほかの要因に左右されていたり、素人である私の解釈が間違っている場合もあるだろう。それでも間違いを恐れずに自分なりの結論を出してみた。
専門家の論文でさえ、ほかの研究者の追試をへて、ようやく認められていく。読者の皆さんも、ぜひ本書の実験を追試してもらいたい。そして、間違いがあったら連絡してほしい。それがくり返されてレシピが修正されれば、パスタ愛好家の力で日本のパスタはどんどんおいしくなっていく。それこそが、私の望みである。
「たかがパスタに対して、そこまですることないんじゃない?」
ここまで読んだだけで、そう感じた人がいるかもしれない。
実際、身近なところでもあきれられた。「いまパスタをゆでてるから無理!」と誘いを断った友人たち、仕事依頼を断った仕事相手にも。キッチンを夫に占領されたうえ、和食好きなのにパスタを食わされつづけた妻にも。
実はそんな声は、自分の心の中からも聞こえていた。特にニンニクを炒めたあとの油を飲んで比較する実験や、唐辛子の果皮や種の試食は、ほとんど苦行だった。実際気分が悪くなり、お腹が痛くなることもあった。しばし布団にうずくまり、それでも、どんな油を選び、唐辛子をどう扱うべきかつらつらと考えていると、
「そんなのどっちも同じよぉ~」
という声が、なぜか料理愛好家・平野レミさんの声色とイントネーションで響いてくるのだ(取材でレミさん宅に一度おじゃましたことは私も自慢である。簡単なのにおいしいレシピ。彼女がまとう雰囲気の明るさ。それでいて一本筋の通った料理に対する考え方。まったく裏表のないおおらかな性格。本当に尊敬している)。
「たしかにどっちでもいいかも……」
そう思いそうになるところをグッとこらえ、前へ突き進むのが求道者たるものの矜持(きょうじ)。いやむしろ自虐的な性格ゆえ、敬愛する平野レミさんに「バカねぇ~」と言ってもらいたくて、とことん突き詰めているのかもしれない。
というわけで、手元に中学・高校の化学の教科書を置いて、デンプンやら脂肪酸やらの分子式と格闘しつつ(本書にもそれに関する記述が少し出てくるが、ド文系の私でも理解できたのでご安心を)、パスタやオリーブオイルの構造や成分、あるいは味を受容する人間の細胞内の様子についてまで調べた。一方、それらの生産法の変遷や受容の歴史、つちかった文化なども勉強した。
こんなふうに、いささか滑稽であるかもしれないが、本書のタイトルである「男のパスタ道」を邁進している自負はある。
本書で検討するパスタ料理は、ペペロンチーノ、ただひとつだ。ペペロンチーノにはパスタの基本のすべてがあると言っていい。ペペロンチーノを極められれば、パスタ料理を理解し、すべてのパスタ料理をおいしく作る基礎ができる。その意味で本書は「パスタ道」の入門編である。
ライター
1969年東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て、中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等で書評の執筆を開始。現在は山梨に暮らしながら執筆活動を行うほか、小中学生の教育にも携わる。著書に『なんたって豚の角煮』『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』『家飲みを極める』などがある
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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